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2019年12月20日 by 池永 寛明

【起動篇】ラグビー日本代表はなぜ日本人の心を熱くしたのか ― めんどくさい日本(4)



サッカーとラグビーは兄弟。サッカーからラグビーは生まれた。サッカーは軽く、ラグビーは重い。グラウンドの広さ、走っている距離はほとんど変わらない。サッカー選手は細い人が多く、ラグビー選手はがっしりした人が多い。サッカーは個人の技術が問われる。軽やかだったり人を出し抜いたりと、技術が必要。一方、ラグビーは技術も大切だが、胆力、こらえる力が要求される。サッカーは前にボールを蹴って突っ込んでいくが、ラグビーは前に進みたいがボールは後ろにしか投げられない。


ワールドカップ ラグビー日本代表のフォワードたちは屈強で、押し込んでくる相手チームを何度も何度も押し戻したり、何度も何度もタックルする姿が感動を呼んだ。何度も何度もこらえながら、何度も何度も前にすすみ、ボールを後ろに投げつつ前進しつづけ、ゴールを決めて、勝った。「必ずゴールに到達する」という信念のもと、胆力をもって戦うラグビー日本代表の姿が人々の心を打った。


ラグビー日本代表の愛称「ブレイブ・ブロッサムズ」(勇敢な桜戦士)は快進撃を積み重ねるにつれて、男性ファンのみならず今までラグビーを知らなかった女性の心までもふるわせた。最近忘れられがちだった「気はやさしく力持ち」という日本人女性が男性に求めていた強さへの憧れのイメージが大きく浮上した。ブレイブ・ブロッサムズは優しいが、グラウンドにたつと非常な胆力をもち困難になっても逃げず正々堂々と相手に当たる。今回のラグビーワールドカップは、日本人女性の持つ「かっこよさ」のイメージを大きく変えたかもしれない。スマートで気の利いた台詞で冗舌に優しくしてくれる男性の姿とは真逆の、朴訥で物静かで胆力をもって戦いつづける姿が「かっこいい」と映る女性が増えたかもしれない。


日本国内だけではない、海外からも高く評価された。日本代表チームの技術・体力・スピードに加え、「規律」に優れていると賞賛された。激しくぶつかったりボールを持って走ろうとすると、相手に絡まれて倒されたりする。エキサイトするような状況になっても、決して怒らない、反則をしない、そして正々堂々と戦う。それが「規律」である。


では「規律」とはなにか。最近ではなじみの薄い言葉となった。内規とか会社の就業規則の「規」と同じく、規律とは何かのルールにもとづいて律するということ。規律があるとは真面目でモラルがあること だが、この漢字、どうもしっくりこない。

ラグビーでいう規律は、英語では「ディシプリン(Discipline)」である。日本語でいう規律とはちょっと違う。ディシプリンの本質は躾(しつけ)であり、修練・修業のことである。ペットは飼い主に「待て」「お座り」と言われたら、きちんとそれを守る。犬たちはそのように躾けられ、それを確実におこなう。このようにご主人に忠実に仕えることを支配する価値観が「ディシプリン」である。



主人に対して仕えるうえでのルール、躾(しつけ)され修練し修行することが「ディシプリン」である。ラグビーとはそういう世界である。自分自身に与えられた「分」「役割」はチーム全体のためにある。その役割を果たすために修練・修業する。フォワードもバックスも自らの「分」「役割」を忠実に守って、行動し目的を果たすことが求められる。それぞれが勝手に行動したりゲームの中でチームの命令に反したり乱したりしたら、ばらばらになってしまう。そうでなければ、ラグビーのような集団でおこなう激しいスポーツは成り立たない。それが「ONE TEAM(ワンチーム)」の本当の意味である。日本人の多くがそれがいいと感じたから、「ONE TEAM(ワンチーム)」が今年の流行語年間大賞となった。


これは企業のなかにもあった。
「ディシプリン」が組織のなかにあった。わが社は「こうだ」というモノとか事柄があって、そこで働いている限り、みんな、その「こうだ」というディシプリンを忠実に守った。その「こうだ」を守るために、時間をかけてゆっくりと準備し訓練して、何度も何度も困難に立ち向かって乗り越えていった。その「ディシプリン」が薄れている。そんなことを言ったら、うるさい、めんどくさい、嫌がられるから言わなくなった。“うるさいことを言わないで、いちいち細かいことを言わないで、めんどうなことを言わないで” ― が広がり、社会に、会社にディシプリンがなくなってしまった。


昔、日本社会には「ディシプリン」があった。
そんなことを言ったらお天道さまに顔向けできない、世間の人に後ろ指をさされる、とディシプリンを守ってきた。この町にはこの町のルールがあると、それを守った。それが変わった。めんどくさいから、うるさいから、わずらわしいからと、「ディシプリン」をひとつひとつかなぐり捨てていった。チームの一員としてのプレイから、それぞれがそれぞれの個人プレイをするようになった。


今日のラグビー日本代表チームの姿は「ディシプリンで取り組めば勝てる」というシンボルともなった。規律正しく、チームメンバーはそれを守り、準備・訓練・鍛錬し、日本チームの一員として日本のために戦った。「この4年間、地獄でした」とラグビー日本代表の選手たちそれぞれが語ったが、うるさいこと、めんどくさいことに耐え、個人としてチームとして鍛えあげた。その姿を素晴らしく、日本人として誇れると感動するが、そんなうるさいこと、めんどくさいことは自分はやれない。彼らはすごいけれど、自分には「絶対に無理」と思うのが現代日本人。


とにもかくにも日本人はうるさいこと、めんどくさいことがキライ。
たとえばウーバーイーツが流行るのは、「うるさい」「めんどくさい」から。どこかに出かけて食べること、買うことがうるさい、めんどくさい。それがスマホで発注したら、すぐ持ってきてくれるようになった。しかし出かけるめんどくささがなくなったが、今度は玄関に出て配達してくれる人から受け取らなければならないという別のめんどくさいがでてくる。次はこのめんどくさいをなんとかしたいと思うようになる。


ITの使い方も、日本と世界ではちがっている。
外国ではITを使って今までなかった新たなコミュニケーションの方法をつくりだせないかと考えるが、日本人は会議はめんどくさいから電子メールですませるんじゃない?電話するのがめんどくさいから電子メールで連絡するわ!というように、めんどくさいこと、うるさいことから逃げるために、ITを利用するようになった。効率化だとか時短だとかいうが、要は「うるささ」から逃げるために、ITを使っている人が多い。それではなにも新たなこと・すごいことは生まれない。一方、外国は今までできなかったこと、新たなことをうみだすために、ITでなにができるのかと考えている。このように海外と日本のアプローチは全然ちがう。これは、とても大切な視点である。


もうひとつ大きな違いがある。
欧米人や中国人は「合理的」に考える。それが必要ならば、合理的だったら、たとえ目的地に行くのに1時間でも2時間でも歩くが、日本人はそんな長い時間、歩くのはめんどくさいと思って、歩く以外の手立てを考える。またスペイン人はサグラダファミリアのように100年以上かけて造りつづけているが、現代日本人はそんなめんどくさいことはやってられない、ちゃっちゃとできないかと思う。しかしかつて日本は、たとえば江戸時代での城づくり、町づくりにおいて、日本人は規律・ディシプリンを守って何年も何十年もコツコツと一所懸命になって造ってきた。その規律・ディシプリンがなくなりかけている。だからうるさい、わずらわしい、めんどくさいが横行する社会・会社となった。


(エネルギー・文化研究所 顧問 池永寛明)


〔日経新聞社COMEMO 12月11日掲載分〕




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