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2019年11月22日 by 池永 寛明

【起動篇】インド人はなぜカレーを食べなくなったのか?


カレーといえばインド。カレーはインドが発祥。インド人がカレーを食べなくなった。インドでは皿に盛ったカレーと米を右手で混ぜて口にはこび食べるという食文化がある。左手を使うのはジューター、穢れであるので、タブー。そのインド人のカレーを食べる回数が減り、スプーンを使うようになったのは、なぜか?手でカレーを食べると、スマホの画面が汚れるためだ。考えてみたら“なるほど”と思うが、スマホがインドの食文化を変えつつある。長年インド人が繰り返してきた食の行動様式を変えた。


「いちばんついて来られないのは引率の先生」と、オランダのフューチャーデザインセンターの先生。デザイン思考でオランダの将来の姿をみんなで考えようというワークショップに参加した大学生たちはすぐに理解して取り組むが、大学生たちを連れてきた先生が場の空気の変化にいちばんついていけないという。新たな技術・新たな考え方への順応は若い人ほど早い。年齢を重ねれば重ねるほど、新たな事への順応が遅い。夏目漱石の造語といわれる「新陳代謝」は新しいものと古いものが入れ替わることを意味する言葉だが、新旧交代は今にはじまったわけではない。


「自己否定」の連続である。
一所懸命して勉強して思考方法・技法・問題解決方法・仕事の流儀を身につけて「現在」があるのに、それをやめることは、それまでの自分を否定してしまうことと思ってしまう。だから新たなモノ・コト・技術に抵抗する。「あんなモノ、まだまだだよ」「それはファッションみたいなもの、すぐ無くなるよ」「あれは本命じゃない」といって、受け入れようとしない。時々そのことが気になるが、さりとて取り組もうとしない。ところが、あれよあれよという間に、“本命じゃない”と思っていたモノ・コト・技術が主役になる。そこであわてて一周も二周も遅れて導入しようとするが、これまでのやり方に凝り固まった頭・体は動かない。とりわけ高度成長モデル、バブルの成功体験にとらわれた人たちは自己否定ができず、時代に取り残される。失われた30年間、日本をダメにしたのは、「④見限る ⑤見切る」(下図)ができなかったこと。ビジネスは自己否定の連続である。



「この10年、スマホはなにを変えたか」を大学や企業人への講演・講義のなかで話をする。
公衆電話・パソコン・時計・カメラ・ゲーム機・ウォークマン・辞書・電卓・カーナビなどがスマホ1台に入る。“生命の次に大事だ”という人もいる「道具」となった。そして家計費、小遣いに占める通信費・携帯電話費のウェイトが急増する。スマホのために捨てたモノが多い。一日の時間の使い方、仕事の進め方、生活のすごし方、人と人との関係、勉強の仕方、教育のあり方、料理の作り方がどのように変わったのか、スマホによるメリット・デメリットの構造をおさえてスマホを使うべきだと話をするが、大学生・高校生、若者、ミドル、シニアによって反応が変わる。スマホ前の人生期間が長いか短いかによって、受けとめ方が変わる。デジタルネイティブ世代とそれ以上世代では大きく変わる。共通の技術の知識・意味という知的情報の基盤という暗号表が読み解けないと、お互いの意思疎通・対話が成立しなくなる。意味わからん、訳わからんとなる。



とかく人は自分の「経験」で物事を観る。
新たな技術に対して、「自分の技術」の視点で観てしまう。とりわけ大学・学界には「暗黙のルール」がある。“そっちには行かへんから、こっちには来んといて”と、それぞれの分野、なわばり、専門領域には、お互い関与しないという暗黙のルールが存在する。それぞれの専門分野の先生は蛸壺のなかに入って、じっと息づき、外から大切な事が入ってきても、自分ごととして受けとめない、受け入れない。新たなブレイクスルーには、新たなアイディア、異なるアイディア、多様性が大切だとはわかっているが、摩擦がおきたり化学反応がおこるとお互いに干渉しない、立ち入らない。だから掘り下げず、そもそもの本質・課題がつかめなくなる。


自分とはちがう考えの人とかかわらないようにする。
わたし理系、あなた文系と、大学受験の前に高校のクラスが分かれ、大学で理系・文系として勉強し、会社も文系・理系に分かれて入社する。社会にでたら新しい技術がいたるところで生まれ育っていくので、“わたし文系だから技術はわかりません”といったら、仕事は通用しなくなる。専門知識・スキルは別として、基本は文理を融合していて臨まないと、仕事にならない。大学の出口戦略は、5年後10年後の社会人のビジネススタイルをめざす必要があるので、文理融合やリベラルアーツは当然である。だから「文理融合」って言葉自体が適合不全である。それは当たり前すぎるが、日本はその当たり前が当たり前ではない。どうしてこんなふうになるのだろう。


新聞に掲載される経営トップの「座右の書」が気になる。
10年前、20年前の経営トップと比べると、歴然たる差を感じる。古典といわれる本、原書といわれる本の登場が減り、歴史小説や自己啓発本やハウツー本的なものが多くなっている。文字の少ない、本のページ数が少ない、薄い「座右の書」が増え、圧倒的読書の質と量の低下を感じる。経営トップも本を読まなくなったのではないか。だから話をしても面白くない、対話がつづかない。


また「穴埋め」のテストが増えた。
大学入試の記述式採点の議論が湧き上がっているが、採点のしやすさからワードを穴埋めさせる方式が多用されるが、キーワードを暗記し、カッコに埋めることに長けた人が増えた。ワードは強いが、センテンスに弱い。ワード・コンテンツは覚えるが、「コンテクスト(文脈・背景)」が読めない人が増えた。


140文字のツイッターは“つぶやき”で、言いっぱなしで、対話にならない。
“LINEで対話できるじゃないか”というが、ツイッターやLINEでは本音は語れるが、物事の体系化・構造化はできない。短文は書けるが、長文が書けない。きちんとした文書を書けなくなった。読み書きから、見るだけ・単語を読むだけになり、文章を読まなくなり、文書を書かなくなる。書かないと、本当のことが理解しにくい。


本を読まなくなった。そして文書を書けなくなった。
スマホにはメリットもありデメリットもある。スピードが求められ、読むのに時間がかかるのは敬遠され、長い文章は減って、短い文章が増える。分厚いモノは嫌われ、薄いものが求められる。こうしてコンテンツが中心となってコンテクストが消えていく。部分最適となって、全体最適・全体統合できなくなる。「腐っても鯛」というが、腐ったら鯛ではない。「腐っても日本」ではない、腐ったら日本でなくなる。もっと本を読み、もっと文書を書こう。


(エネルギー・文化研究所 顧問 池永寛明)


〔日経新聞社COMEMO 11月7日掲載分〕


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