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2019年11月20日 by 池永 寛明

【耕育篇】ドラえもんがいっぱい飛んでいる姿を想像できる? 〜日本のこれからの産業のカタチを考える(7)(最終回)


花嫁の白無垢は真っ白。白塗りの水化粧に、新婦の母親が挙式前に、「紅差しの儀」で赤い口紅を引く。真っ白のなかに、どんなに小さくても紅が入れば、白でなくなる。「紅一点」の差し色で、全体を変える。紅差しは魔除けの意味もあるが、血、祝福も意味する。小さいものに意味を付与して、全体を一変させて、新たな価値をうむ。


全身真っ白な丹頂鶴の頭は「紅」。紅一点で全体を変える。全身は白だが、丹頂鶴の頭の「紅」に目が向く。日本人は小さくても赤が入ると、赤が全体を支配し、赤がどこにあるかにこだわる。


日本画もそう。大きな和紙に小さくモノを描き、意味をもたせる。その「小」がどういう意味かは日本人は理解できた。日本画を観る人は、絵師が絵に盛り込んだコード(暗号)を読み解くことができた。これら芸術作品を通しても、暗黙のルールを踏まえて、日本人は想像力を育んだが、日本人が繋いできた風土・知的プラットフォームが崩れて、コードを読み解けないようになり「意味わからん」「訳わからん」という社会となった。


現代日本人の想像力が低下している。
小さなものからイメージをふくらませ、連鎖させ、大きく広げていくことができなくなった。たとえばパソコンで絵を描くようになってから、想像力がおちていった。スマホ検索時代になって、格段と便利にスピーディになったが、何事も直接的・表面的・短絡的となった。寄り道をしなくなり、ノイズを排除して、転換させたり、翻せなくなった。これからのAI時代、もっと想像力が失われていく可能性がある。想像力が欠けたら創りだすモノ・コトは社会・お客さまに受け入れられなくなる。



想像力(Imagine)とは「像(イメージ)」を思い浮かべること。「これ、ええなあ」と呟いてくれる、「こんなの待ってたわ」と喜んでくれるお客さまの姿を思い浮かべて、最小の機能・コストで、最大限の価値あるモノ・コトを創って、「共感」を願った。ところが想像からはじまるそのモノ・コトづくりを「創造(create)」的にすすめていくようになった。創とは、つくり手が「これ、どうや!」と考える価値観でモノをつくり、お客さまに「解釈」を求めること。ちなみに創とは刀で切った傷の断面の様を示した漢字。絆創膏・満身創痍の創で、語源的にいえばゼロベースで考えて行動すること。中国ではイノベーションを「創新」という。


この30年、20年、やれクリエイトだ、やれイノベーションだといって、本来日本の強みであった「想像力」ではなく、「創造力」が求められてきた。想像から創造にマインドセットし、現場に出向かず、情報ソースは少なく、内々で話して、スマホを横に、パソコンのなかで絵を描くことがビジネスだということになった。バーチャルには強くなったが、リアルにはからきし弱くなった。


東京モーターショーが開催されている。
車離れが進み、車の販売台数が減少するなか、自動車からモビリティへの事業の再定義と車の楽しさを伝えるというコンセプトになった。車好きの人には興味深く、面白いイベントではあるが、かつてのように自分が次に乗りたい車がいっぱい並ぶというものではなくなった。


フランス・ドイツで自動車がうまれ、発展させたのがアメリカ。そして日本に自動車の中心が移った。70年代までは安かろう悪かろうの扱いだったが、日本車は世界市場で「信頼」のブランドとなった。しかし近年、先進国を中心に車離れがすすむ。どうしたらいいのか?そこで登場するのがIoTにAI、エコカーに、自動運転に、空飛ぶクルマ。しかしそんなクルマ社会になるのだろうか。未来の人たちはそんな社会を望んでいるのだろうか。


たとえば空飛ぶクルマ。中国やアメリカのような広大な国ならば、山や川を超えて飛んでいく空飛ぶクルマの姿は目に浮かぶ。しかし、建物が密集している日本の都心部を車が飛んでいるイメージは湧かない。


ドラえもんはタケコプターで空を飛ぶ。
ドラえもんが一人だけだったらスイスイ飛べるが、ドラえもんがいっぱいあらわれて、みんなが空を飛んだら、どのようなことになるのだろう。空は渋滞して、信号はないので、ドラえもんたちはいろいろなところで衝突する。空飛ぶクルマも道路を走る自動車のように交通ルールをつくって規制をつくるというが、クルマやドローンが空をいっぱい飛んでいる姿を想像できているのだろうか。

日本人の想像力が一気に失われていった。
ひとつひとつの商品の開発や創造力はあるけれど、いろいろなモノやコトを統合して集合体をつくることが苦手となった。ひとつひとつのモノ・コトはつくれても、それらをとりこんだ社会・人々の全体イメージ・姿が目に浮かばない、いや浮かべない。かつて飛行機もドローンもなかった時代、上空から見た地図を描いたり、大阪城や姫路城・名古屋城など高層建物をつくった。現代人から、上から観る・全体を観るという「鳥瞰力」がおちた。


よって社会に問いかける力が弱くなった。
“これでどうや!これなんなの!すごいやろ!”といったものをつくれなくなった。そんなことをいったら、“変人とちがうか?頭おかしいのとちがうか?ホラ吹き、嘘つき”と思われるのではないかということが思考サイクルに刷り込まれている。だから今までとちがったこと、革新的なこと、突飛なことをいうのを憚られるようになった。みんながおもっていることとちがったことを言ったり動いたりしたら、外されたり排除される。そういう脅威の裏返しで、常識的なこと、今までやってきたこと、だれにも文句をつけられないことをやろうとする。小さな世界、想定した範囲内で動けば十分だと思い、そこに安住することに満足するようになった。


ニュータウンもそう。日本の家族のカタチの変化を普通に考えたら、30年後、40年後にはオールドタウンになることは明らか。新しい町をつくった人たちは未来の姿を想像していたのだろうか。若しかしたら開発者には見えていたが、「都合が悪いこと」なので言わなかったかもしれない。その開発者の想いや懸念を後輩たちは承継せず、課題を先延ばしにした。現代のニュータウンであるタワーマンションもそう。10年後、20年後、30年後のタワーマンションの姿を想像できているのだろうか。


だから「課題解決」という言葉が、現代社会に飛び交う。すごく流行っている。これまでの人々が未来を想像せずにうみだした「課題」を、今を生きる人々、未来の人々が背負うことになる。


想像力をとり戻そう。こうしたらみんな喜んでくれるだろう、楽しくなって、嬉しくなって、ドキドキウキウキするだろうというイメージ(像)を思い浮かべることから、モノ・コトづくりをはじめよう。IoT、AI時代だからこそ、想像力をとり戻さないといけないのではないだろうか。

[日本のこれからの産業のカタチを考えるシリーズは今回で最終回です]


(エネルギー・文化研究所 顧問 池永寛明)


〔日経新聞社COMEMO 10月31日掲載分〕

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