大阪ガスネットワーク

エネルギー・文化研究

  • サイトマップ
  • お問い合わせ

CELは、Daigasグループが将来にわたり社会のお役に立つ存在であり続けることができるように研究を続けています。

  • DaigasGroup

JP/EN

Home>コラム

コラム

コラム一覧へ

2019年03月06日 by 池永 寛明

【交流篇】 日本に蔓延している「気」─ 気>心の時代


日本に「気」が蔓延して、「心」がしぼむ。いま世の中でおこっている出来事の多くが「気」で、「心」がついていっていない。「心ないな」という事象を見聞きする。


「気は心」という言葉がある。

「私の気持ちです」といって、贈り物をする。ものの価値ではなく、「私の気持ち」を受けとってくださいという意味で昔はよくつかっていたが、最近あまり使わなくなった。


「気」は不思議な漢字。

気という字源は気体、水蒸気。発散しやすいもの、実体がつかめないもの、実態が見えないもの、ころころ変わってしまうもの、なくなってしまうもの、消えてしまうもの、集めておけないというのが「気」という漢字の意味。


「気」がつく言葉は沢山ある。

「気持ちのいいことをいうねぇ。今日の気分はどう?あの子は気が強い。そのことが気になる。あの子は気立てがよくてね。突然、気が変わった。もっと気を配れよ。気持ちが大事だ、気持ちが。それ、正気なの?空気が読めない人だね」といろいろある。最近、世の中、そんな「気」ばかりだ。


「気のない返事」と「心のない返事」では、意味がちがう。

「気配」」と「心配」、「気持ち」と「心持ち」はちがう。「気をひく」と「心をひく」もちがう。気分とはいうが、心分とはいわない。気分屋というが、心分屋とはいわない。なぜなら心分というような状態はおこらないからだ。気と心が混同されている。気と心の関係がわからなくなっている。


世の中、「気」だらけ。

雰囲気を察知して、空気を読み、気配りをして、気のきいたことをするという「パフォーマンス」の時代。瞬間瞬間に即応するパフォーマンスが多い。ボケとツッコミのように、なにかをいわれたら、すぐに対応する。その即応がしゃれていると、シャープだといわれたり、頭がいいといわれる。パフォーマンスは人を喜ばせるためのものであり、人気を得ようとするもの。人気は永続きはしない。しかし「気」は実体がなく、つかめない。見えないもの、暫定的なもの。


気は軽く、すぐになくなってしまう、ころころ変わってしまう、消えてしまう。「気」にまぎれて、「心」がおきざりになっている。本来、人に心を配る、心に寄り添うのが日本だった。「気は心」ではない。「気は心から発するもの」ではないかと思う。


「心変わり」というが、本来、心は変わらないもの。

むしろ、気が変わったというほうが正しい。「三つ子の魂百まで」というが、子どもがちいさいころから、世の中の大人たちの言動が子どもの心に左右する。大人が心にこだわらないといけない。「日本人の心」というが、「日本人の気」とはいわない。インバウンド戦略で「もてなしの心」というが、実態は「もてなしの気」となっているのではないだろうか。もてなしが形、スタイルになっているのではないだろうか。相手を気分よくするという「気」という様式になっているのではないだろうか。本当に、気になる。


(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)


日経新聞社COMEMO  225日掲載分

  • U−CoRo
  • 語りべシアター
  • 都市魅力研究室
  • OMS戯曲賞
Informational Magazine CEL

情報誌CEL

【特集】ウォーカブルの本質を考える

近年、「ウォーカブル」という言葉をよく耳にします。 まちなかを車中心から人中心へ...

バックナンバーを見る
  • 論文・レポート・キーワード検索
  • 書籍・出版
  • 都市魅力研究室
  • FACEBOOK

大阪ガスネットワーク(株)
CEL エネルギー・文化研究所

〒541-0046
大阪市中央区平野町4丁目1番2号

アクセス