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2017年05月24日 by 池永 寛明

【起動篇】  〔「311から」9〕 6年でやっと食材が戻った

       

 

かつてそこは金山だった。その山には温泉が湧きでて、湯治場として愛されていた。金山で働く人たち、地域の人にとっての温泉であった。鉱山としての仕事がなくなったが、80年前にそこは温泉旅館としてよみがえった。

 

宮城県石巻市の北上川河口から県道64号線を走ると「翁蔵山」の峠の中腹に自然に解けこんだ木造建物にたどりつく。木のにおいがする玄関をあがると、木の温もりが感じられるフロントに迎えられ、木の床が一直線にのびている。ずっと廊下を歩くと樹齢500年のカヤの木とアシの木でつくられた浴室と休憩場に着く。木枠の窓のある客室の外からは、イヌワシが飛ぶ山が見える。

 

まるで木造校舎のような建物の一軒宿「峠の湯 追分温泉」。かつて確実にあった日本的な時空間に入る。“日本”を売り物にした和風旅館ではなく、地域の歴史が長い年月がじっくりと沁みこんだ旅の宿だった。

 

311から6年半で、食材がようやくすべて戻りました」

この宿の3代目にあたる横山宗一館主は自ら毎日市場や地元の漁師さんを訪ね、宮城県をはじめとする東北の山の幸、海の幸を集めて、ボリュームあふれる、ここでしか食べられない手料理を出している。

 

6年経って食の復興ができたという。311で、まちが、海が、壊滅的になった。その日、被災された人々が次々と峠をのぼってこられた。 “峠の湯 追分温泉”の被害は少なかったため、館主の判断で被災者を次々と受け入れた。自らの判断で宿を休業し、手弁当で宿を“避難所”とした(後に2次避難所として指定されたという)。震災時に、宿泊客用の3日分にあたる500食の食材があった。この食材を地元の被災者に提供された。

 

被災された地元の人たちが、安心してすごせるようにと全力をあげた。

被災者受け入れ対応をするなか、館主も体をこわされた。震災後の過労だけでなく、旅館の料理にとって大切なパートナーである漁師さんたちも、船も家も津波に流されたことなどを慮るなど、様々な心労が重なったのだろう。多趣味で明るい横山館主の姿からは想像もできない出来事があったのだろう。

 

「やっと食材が戻りました」という言葉は重い。

6年という時間は、お客さま商売をする経営者にとって長い。被災者を自発的に受け入れ避難所として応援されたことなどの噂をききつけ、全国から復旧・復興活動に来られる人々が通常の観光客に加えてお客さまとして泊まりに来られた。そしてクチコミで、この隠れ家的温泉宿を訪れる人が増えた。

 

「私は夜の担当。昼の担当は別にいます。交替します」という館のスタッフは地元の方。

スタッフの方たちは、雇われているという意味での従業員とは思っていないという。むしろ共同事業者、“自分たちの宿”と思っているようだとお聴きした。これはかつて金山の温泉であったという地域の記憶があるからだろう。だからこそ、311に被災者がたよりに来られた。今、昼間はまるで地域の公民館のように地域の方々が来られ、カラオケ大会がおこなわれているという。

 

みんなが集まる、温泉がある場が地域の人々をつないでいる。これからの“地域コミュニティ”を考えるヒントがここにあった。

 

(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明

 

〔CELフェイスブック 524掲載分

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