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2017年05月22日 by 池永 寛明

【起動篇】  〔「311から」7〕 初物七十五日

   

 

“初物を食べると、寿命が75日のびる”

江戸時代において、初物は、“生気”が漲り、新たな生命力が得られるものと考えられていた。自然、四季とともに生活していた、暮らしていた江戸の人たちにとって、「粋(いき)」という価値観が極めて重要だった。そのなか初夏は「目には青葉 山ほととぎす 初鰹」(山口素堂)と詠まれたり、「初鰹は女房子供を質に置いてでも食え」といわれるほど、初鰹は現代以上に人気があった。

 

今年510日、気仙沼湾に鰹が初水揚げされた。鰹の旬は初夏と秋。春から初夏にかけて黒潮にのって太平洋岸を北上する「初鰹」と、北の海から戻ってくる脂がのっている「戻り鰹」と年に2度喜ばれた。江戸の町で食べられた初鰹は現在は気仙沼産が多いが、当時は鎌倉などの漁場からとれたものだったようだ。

 

気仙沼は江戸時代から海運・沿岸漁業で栄え、仙台藩で最も人口が多い地域だった。明治に入り、遠洋漁業の拠点となり、養殖、水産加工、観光都市として発展した。このように江戸時代より漁業をベースに大きく繁栄したまちであり、独特の気仙沼文化が生まれる。

 

まゆ玉」という気仙沼の小正月の行事がある。

若木の枝に、まゆの形の餅や団子をたくさんつけて祝う、正月の飾り木である。日本中で普及していた「餅花」行事の一種で気仙沼では「まゆ玉」が用いられる。まゆ玉は日本のなかでは養蚕エリアに見られていたが、本来漁業文化である気仙沼に農業文化が刻みこまれている。気仙沼の漁をする地域では今も1年に15回も餅をつく。「餅文化」が今もつづいている。

 

「気仙沼に京や大阪の上方文化が入っています」

 気仙沼は伊達藩で伊達政宗時代より京との関係が強かったが、「北前船で日本海側の酒田湊が商品物流基地となって、上方文化がもたらされたといいますが、酒田など日本海側の湊を起点に、最上川、北上川を通じて太平洋岸に上方文化が入ってきたのではないかと思っています」と気仙沼の人たちは考えている。

 

「気仙沼ピット」という産業形態などを前提に、想像力を働かせて考えてみると、漁業によって他地域との交流が多かった気仙沼だからこそ、様々な「交流」「融合」によって独特な文化を生みだされたのではないだろうか。また漁を中心とする気仙沼の産業・暮らしは自然現象に左右される危険性が高い仕事であったため、信仰心豊かな土壌をベースとした行事・生活がつくられたのではないだろうか。

 

海での漁を通じて家・地域が繁栄を祈る文化が今も息づいている。

1畳もある神棚や、自然を敬う生活行事・祭りがおこなわれたり、家族や一族が様々な機会に「集まる場」が意図的につくられている。それらを通じて、家族や一族、地域の和が緊密となった。

 

正月行事として地域の神様が正月に家に来られるという気仙沼の地域文化が今もある。普通、初詣はそれぞれのお願いに応じて神を訪れるが、神が家に来るという気仙沼文化があることに地域の深みを感じた。

 

しかし、もうひとつ大切なことがある。なぜその飾りをするのか?そして、その祭りがあるのか?という意味を、行事とともに伝えなければいけない。モノ、コトを作るというデザインだけでなく、それに盛り込まれた意味、コンテクストというデザインを、語り継がなければならない。

 

(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明

 

〔CELフェイスブック 523掲載分

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