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2017年03月18日 by 池永 寛明

【場会篇】 玉造黒門越瓜物語3「越の国から来た瓜はいま」

    

 

玉造黒門越瓜とは「たまつくりくろもんしろうり」と呼ぶ。越瓜(しろうり)の「越」とは、古代中国の揚子江以南、越南、すなわち広東、広西方面を指す。原産地の北アフリカから東に移動し中央アジアで分化し、ヨーロッパに伝播したものがメロンに、中国に流れたものがマクワウリに、インドを経由して東アジアから中国に流れたものが「越瓜(しろうり)」として誕生した。弥生前期にイネなどとともに、越の国からしろうりが渡ってきた。

 

では越瓜の前の「玉造黒門」とは、なにか?実は大坂城の玉造門が黒塗りの門であったことから「黒門」と呼ばれ、玉造周辺で越瓜が栽培されていたため、「玉造黒門越瓜」というブランド名となった。玉造門の周辺で白瓜市場(黒門市場)が開かれ、活発な商いが行われていた。

 

玉造黒門越瓜が有名になるには、「お蔭参り(お伊勢参り)」が絡んでいる。玉造は大坂から奈良・伊勢神宮へのお蔭参りの出発点、玄関口には蓑笠屋、田楽屋、茶店などが並んでいた。玉造黒門越瓜を粕漬け、奈良漬けにしたものが評判となり、お陰参りとともに、諸国に広がり浪花名産のひとつとなった。

 

玉造で日本初のビジネスが誕生した。日本初の旅行会社ともいえる「浪花講」が生まれる。当時伊勢参りでの宿泊所でトラブルが多かったため、1804年に唐弓の弦(つる)の商人が、旅人が安心してお伊勢参りができるよう「浪花講」システム(今でいう旅行情報誌・カタログともいえる「浪花組道中記」の発行、優良旅籠には浪花講の看板、旅人には浪花講発行の木札)が編み出された。現在の旅行会社のビジネスモデルの原型を江戸時代の玉造の商人が考え出した。

 

さらに、お蔭参りの道中に、玉造黒門越瓜を粕漬けにして保存食としたらいいのではないかと考える人があらわれ、人気を博し、大坂を代表する名産になった。しかしながら、その玉造の白瓜市場は明治中頃までは存在したが、大正・昭和にかけて都市の近代化に伴う玉造の土地利用の変化に伴って「玉造黒門越瓜」は玉造から次第になくなっていった。

 

その玉造の伝統野菜である「玉造黒門越瓜」を復活すべく動き出したのが玉造稲荷神社の鈴木伸廣禰宜。16年前に、なにわ伝統野菜応援団員の農学博士森下正博先生に「種」「栽培法」の相談をはじめた。「玉造黒門越瓜」の止まっていた時計が再起動しはじめた。

 

(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明、特任研究員 弘本由香里)

 

〔CELフェイスブック 91日掲載分

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