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2019年11月05日 by 池永 寛明

【耕育篇】話がまとまらない会議 〜日本のこれからの産業のカタチを考える (5)


消費税増税のポイント還元で使われる「QRコード」は世界のキャッシュレス決済を支える技術であるが、実は日本人がつくった技術であることは意外に知られていない。デンソーが1994年にトヨタ生産方式「カンバン」における部品管理を念頭として二次元バーコードを開発した。


二次元バーコードはデンソーも予期せぬ社会適応をしていく。デンソーの二次元バーバーコードはQRコードとして世界標準となり、携帯電話にQRコードの読み取り機能が搭載され、飛躍的な社会での広がりを見せる。またスマホのカメラ精度を高めるCMOSセンサーも日本のメーカー品が人工衛星やミサイルのカメラ用に搭載されている。日本の技術が情報社会を実質的にささえている。日本の技術なくして、スマホは動かないしロケットも飛ばせない。


このように世界的技術をうみだすが、全体を組合わせて、商品のパッケージ化、完成品をつくりだせなくなった。日本は商品・ビシネスのなかの中核を実質的に担っているが、お客さまにはそのことが見えない。お客さまには日本の中核部品を輸入しパッケージ化した海外の企業しか見えない。それでも儲かっているからいいじゃないかともいえるが、本当にそうだろうか。完成品ビジネスから外れると、お客さまが見えなくなり、“時代感覚”が薄れ、様々なことを統合して価値あるモノをつくり、世界に投げかけていく力が弱くなったのではないだろうか。


「どうして譲るの?譲ったらだめよ。」と親が子どもに注意する。グループで話しあって他人の意見を聴いて、自分の意見よりも“良いな”と思ったら、良い方に変えるのが普通なのに、自分の意見にこだわり強引に押し通そうとする人が多くなった。学校の受験もそう、会社の昇進昇格試験もそう。とかく「主導権」「「リーダーシップ」をとらないと負けてしまうと教えられ、自己主張しようとする。そうしないと、いい点をとれない、評価されないから、とにかく他人よりも目立とうとする。だから人の話など聞いてなんかはいられない。


自己主張と、他人の意見に耳を傾け理解するこをとバランスさせないといけない。自分の意見と他人の意見をアウフヘーベンさせる。それぞれのアイデアをまとめて良いものにするとか、いちばん良い案を取捨選択するとか、AとBをぶつけてCをうみだすということができなくなっている。他人の考え方に敬服することは決して恥ずかしいことではないのに、他人の意見を受け入れず、自己主張ばかりする。逆に人に自分の意見が相手に受け入れられなかったら、“聴いてくれていない”と不平不満を並べる。だから対話が成り立たない。


“この問題について、5人で議論して、グループとしての解決策を出して。所定時間は1時間”と、ある大学院で教授が指示した。まず5人はそれぞれパソコンに向かい作業をする。黙々と作業する。いつまでたっても、グループでの議論がおこなわれない。そして1時間が経った。すると発表役の院生がグループの意見を話す。メンバーが発表役にメールしたバラバラの案を「ホッチキス」して、それぞれの意見を紹介して、最後に発表者の自論を「グループの解決策」だと発表する。それは発表者個人の意見であって、グループで議論してまとめられた解決策ではないが、グループの意見となる。このような意思決定プロセスをいろいろなところでよく見うけるようになった。


小学校の高学年でも、グループディスカッションが成立しにくくなっているという。それは大学も、企業もそう。みんな自分の好きなことを追いかける、自分の好きなことを主張する、自分のことを大事にする、自分自身を打ち出す。SMAPが「世界に一つだけの花(2003年発売)」で、 「No1にならなくてもいい。もともと特別なOnly One」と歌いヒットした頃から、“オンリーワン”が時代空気となっていった。しかし一人一人、ひとつひとつの考え方を持ち自己主張をすることは大切だが、それと同列に他人の主張に耳を傾けて、理解、リスペクト、尊敬するセンスも同時に身につけなければいけないが、それぞれが違う意見を主張しあって、お互いの話を聴かないと、いつまでたってもまとまらない。


もうひとつある。一人一人それぞれの主張はスマートで、流行りの恰好いいフレーズが並ぶが、とても表面的。ネットやスマホで検索して集めたキーワードをつないだストーリーなので、深くない。質問されたり反論されたら、まともに答えられない。コンテンツが中心で、文脈・背景・コンテクストを語れない。これだと、やはり対話が深まらない、成り立たない。


AさんとBさんが自己主張して平行線となるなか、上の人は<これこれしかじかだから>「Aさんの案でいこう」とまとめ、納得しないBさんに対して<今回はこの部分がこうだから採用できない>と納得させるよう、様々な案から取捨選択して上司が決めないといけないのに、それをしない。昇進昇格試験で導入される「リーダーレス」会議のようになっている。だからみんなで話し合って決めなさいといわれても、まとまらない。それは学校や企業だけではない、家庭でも国会でも、それぞれの自己主張が空中に飛び交い、まとまらない。


さらにもうひとつある。「見限る、見切る」ことができなくなっている。こういう結論を出して、それが失敗したのは、“お前のせいだ”といわれたくないのだ。だから結論を先のばしする。しかし「必要なものはほっといても必要とされ、必要でないものはほっといたら必要とされなくなり、消えていく」ことは世の理だが、物事を見極め、見切って、新しいことをして失敗したら、「自分の責任」になると思ってしまう。だから今までどおりしようとする、新たなことにチャレンジしない。だから既成概念・固定観念にとらわれてしまう。

就職もそう。就「社」ではなく就「職」のはずだが、世間で「良い」といわれている会社、カッコいいと思う会社を選択しようとする。その「良い」大学に入るために、子どものころから努力して頑張って、「良い」会社に入ろうとする人が今も多い。問題は「良い」会社とは古くからあって、社会的に知られている会社だと思いこんでいること。その会社に入ったら、ずっと変わらない、ずっと「良い」会社は続いてほしいと思うが、ずっと同じなどありえない。そもそも社会はそれを許容しない。10年20年30年という時間の流れをみたら、社会は、産業構造は必ず大きく変わっているのに、前提条件を変えない。


新しくできる企業・ビジネスはいっぱいあるのに、自分の会社が「変わらない」理由などどこにもない。“わが社は創業100年だから、昨日今日できたような会社ではない”と新しい会社を蔑む。世の中には老舗・名門企業がなくなって、新しい企業が大きくなるということはいくらでもあるが、それを認めようとしない。新しい会社は「しがらみ」がなく時流に適応していくが、古い会社には「しがらみ」だらけで変わらない。その「しがらみ」を古い会社は見限れず、見切らない。昔からの鎧、兜、看板で生きていくなか、市場実態と適合不全をおこしてしまう。にもかかわらず変わらない、変われない。


親世代は新卒で入って60歳・65歳の定年まで会社はもつとおもっていたし、実際もった会社も多い。そんな親世代を見てきた子ども世代も、「いつまでもこのままがつづく。市場・環境、前提条件が変わっているのに、20年前30年前のままの姿がずっとつづいている」と考えて行動しているのが今。では、どうしたらいいのか。決して難しくない。市場を直視する、現場・現物・現実・お客さまの声を聴けば、本当の「今、現在」がわかるのに、殆どの人がそうしない。


604年制定の十七条憲法の「和を以て貴しとなす」も、1868年の五箇条の御誓文「広く会議を興し万機公論に決すべし」をあえて最初にもってきたのは、昔から日本人はみんなで議論してまとめるのが苦手だったからではないか。だから先人もそのことを一番最初に持ってきた。人の話に耳を傾け、良いものは良いと認め、受け入れたらいいと思うのだが、どうも逆に向かっているような気がする。


(エネルギー・文化研究所 顧問 池永寛明)


〔日経新聞社COMEMO 10月10日掲載分〕