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情報誌CEL

井川 啓

2017年10月31日

創造性豊かな「民」の都市に花開いた大阪のデザイン

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2017年10月31日

井川 啓

住まい・生活
都市・コミュニティ

ライフスタイル
まちづくり

情報誌CEL (Vol.117)

ページ内にあります文章は抜粋版です。
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商業都市として栄えてきた大阪では、その商品の魅力を宣伝するための広告デザインも発展していく。
明治から昭和初期にかけて、商業規模の拡大や新聞社の誕生などにより宣伝広告におけるデザインが一気に花開いた時代でもあった。
「民」による創造性豊かなデザインは、現代だけでなく未来の都市づくりにも役立つのではないか。かつての大阪のデザインを通し考察していく。

江戸時代の大坂に見る商いと宣伝

大阪は1868(明治元)年に大阪府が置かれるまで、大坂と書いていた。大坂は16世紀後半に開発が始まった後発都市でありながら、江戸時代には「天下の台所」として大いに発展を遂げることになる。これは、「問屋」という新たなビジネスの形態が生まれるなど、大坂でいくつかのイノベーションが起こったからだと言われている。その時代の宣伝広告といえば、現代のチラシにあたる「引札」やポスターにあたる「絵びら」である。これらは、特定の人に限らず不特定多数の大衆の購買意欲を高めた。大坂では元気な者を市中に歩き回らせ、引札を撒かせたようだ。これらの者を「東西屋」と言い、我が国における広告業者の草分けと言える。「東西東西(とざいとうざい)…」の口上が呼び名の由来である。このように広く撒き散らすことを工夫した大坂では「引札」と言わず、その当時から「ちらし」と呼んでいたという説がある。多くの人に宣伝するのに、「引札」「ちらし」という媒体だけに頼らず、人のリアルな口上とを組み合わせた宣伝方法を活用したのは、大坂人らしい発想かもしれない。

呉服商から百貨店に繰り広げられた宣伝合戦

明治以降の商業の発展を象徴する業種として百貨店がある。百貨店は後の三越となる越後屋をはじめとして、もともとは呉服商であった。当時、呉服商の商売の仕方は客の家に商品を持って行く「出張販売」であった。それが、客に店まで足を運んでもらい、客の希望する商品を一つ一つ見せていく「座売り販売」となり、さらに多数の商品をあらかじめ飾っておく「陳列式販売」にかたちを変えていった。
1896(明治29)年に大阪の三井呉服店(後の三越呉服店)は、日本で初めて陳列販売を始めた。客に店舗まで足を運んでもらわないといけないので、情報の提供つまり宣伝広告も必要となり、この時すでに意匠部をつくっている。こうして、三越、高島屋、大丸、松坂屋などの呉服店系に鉄道系の阪急、近鉄も加わり、昭和初期から戦後にかけて、各百貨店間で壮大な宣伝広告合戦を繰り広げた。
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