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情報誌CEL

丸山 雍成

2017年10月31日

近世の公用交通路と情報の伝達

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2017年10月31日

丸山 雍成

都市・コミュニティ

都市システム・構造
まちづくり

情報誌CEL (Vol.117)

ページ内にあります文章は抜粋版です。
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電話やインターネットなどの近代的な情報通信手段をもたない近世において、情報流通は幕府の整備した公用交通路を利用しておこなわれ、政治のみならず商業や文化の情報をも伝播していった。
近世の公用交通路の成立と情報の伝達の様子をたどり、情報通信手段が発達した現在においても学びうる視点を探る。

一 近世の公用交通路

●家康による街道の整備と在町宿駅の発展

ここで近世を、織豊政権の安土・桃山時代と徳川政権の江戸時代とを合わせたものとするならば、公用交通路の体系も、前代のそれの延長線上にあるとはいえ、大幅な連続的改変による発展と見なければならないだろう。天下統一をめざす織田信長、その実現者であった豊臣秀吉は、これまでの戦国大名の領国かぎりの交通体系(伝馬制[*1]に代表される)を大きく全国的なものに拡張させた。しかし、それは依然として、古代以来の伝統的な京畿中心の交通体系の枠組から外れるものではなかった。
これを突きくずしたのが、徳川家康である。彼は天正18(1590)年秀吉の転封策をうけて、江戸中心の関東領国経営に専心することになるが、それは後の五街道の原型を形成する時期でもあった。まず、関東領国の境界には、東海道の箱根、中山道の碓氷、奥州街道(のちに日光道中も)の栗橋、甲州街道(のち甲州道中)の小仏など重要関所が配置され、領国内の各街道宿駅も江戸〜各関所間で創出、整備されていった。
これは秀吉の没後、慶長5(1600)年の関ヶ原の戦を経て、大きく変貌する。東海道はその翌6年、京都まで延長されて東海道宿駅(伝馬)制の実施を見(のち五十三次)、中山道も同七年に東海道草津まで延び(のち六十七次)、奥州街道は宇都宮から白河へ(のち奥州道中)と日光鉢石へ(のち日光道中)、さらに甲州街道も同九年以降は上諏訪へと延長された。
また、関所も東海道は荒井(今切、新居)、中山道は木曽福島というふうに、徳川勢力圏の拡大とともに配置範囲がひろがり、元和元(1615)年の大坂夏の陣後は、東海道は徳川氏の所領となった大坂城下まで延長され(五十七次)、幕府の関所も畿内近傍まで増加する。
こうして、五街道は本州中央部に拡伸し、それ以外の脇街道も五街道の付属街道に編入されるものが相ついだ。

*1 公用旅行者などの貨客運送のために、人馬勤めに従事させる制度で、古代から近世を通じて存在した。
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