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情報誌CEL

菊 幸一

2013年03月01日

スポーツ文化の視点と生活者の「からだ」

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2013年03月01日

菊 幸一

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情報誌CEL (Vol.103)

ページ内にあります文章は抜粋版です。
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―スポーツをする「からだ」の不思議―
考えてみると、人間の「からだ」というのは、実に不思議な、不可解な存在である。普段、私たちは五体満足な「からだ」の機能を駆使して、精一杯の利便性を求め、生活に支障のない「からだ」の動きを通して、自由を満喫している。もちろん、肢体に不自由のある人が、その動きの制限から生活を満喫する自由が奪われているということを言いたいのではない。「からだ」に何らかの不自由がある人も、その状態から自らの「からだ」の機能を向上させるためにあらゆる努力を続けながら、環境に適応した(あるいは適応させた)「からだ」の自由を拡大させていく。
 しかし、そのような生活と「からだ」との関係、すなわち普段の生活では「からだ」の機能を全開させて、生活の利便性を向上させ、あるいはその機能を機械に代行させることまでしながら自由な運動を拡大していこうとすることが当たり前に行われていることに比べると、スポーツをする「からだ」ほど、摩訶不思議なものはない。なぜなら、例えばサッカーでは、人間の「からだ」にとってもっともその自由を拡大し、利便性を高める手・腕を使用してはならないことになっているからだ。このサッカーに限らず、およそ現代のスポーツにおいて、人間の「からだ」の自由奔放なエネルギーの発揮(それが高じれば「暴力」となるエネルギー発揮の暴走)をコントロールするルールを持たないスポーツは、もはや今日「スポーツ」とは呼ばれない。
 先のサッカーの話に戻ろう。一般生活において他の誰かから、理不尽にルールとして「手・腕を使ってはならない」と言われたら、人びとはたちまちのうちにその不自由な状態に我慢ならなくなり、ルールを破っていくことであろう。しかし、サッカーをする人びとの「からだ」は誰も不平・不満を表すこともなく、むしろ喜々としてそのルールに従い、その動きを機械に代行させないで、自ら汗を流しながらこれを楽しもうとする。むしろ、普段の生活ではルールを守ろうとしない子どもたちの方が、積極的にサッカーのルールを守り、わざと不自由な「からだ」をつくって遊ぶのである。いったい、サッカーをする「からだ」に何が起こったのであろうか。

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