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情報誌CEL

山下 満智子

2012年02月14日

連載 食卓の喜び 第11回 ビーダーマイヤーの時代

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2012年02月14日

山下 満智子

住まい・生活

その他
食生活
ライフスタイル

情報誌CEL (Vol.99)

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ビーダーマイヤーの時代(1814-48年)

-「ビーダーマイヤー」と呼ばれる時代-

 「ビーダーマイヤー※」と呼ばれる時代は、政治について考えるようになったブルジョワを大きく押し戻すことを意味した。フランス革命及びフランス国王夫妻の処刑で、ウィーンの宮廷は、完膚なきまでに打ちのめされた。王妃マリー=アントワネットは、皇帝ヨーゼフ二世やレオポルト二世の妹であり、フランツ皇帝の叔母であった。フランス革命に続く対仏戦争によって玉座から追い落とされた王室もあり、それは、かつて一度も体験されたことのない大変革であった。ナポレオン一世が自らをフランスの皇帝に任じ、戦争の指揮に成功したことは、神聖ローマ帝国のみならずフランツ皇帝の玉座さえもおびやかしたのである。
 対ナポレオン戦争の勝利や「ウィーン会議」(1814−15)におけるヨーロッパ勢力の再編後、強力な政治的反動が起こった。皇帝の側近で当時オーストリア随一の権力を誇っていたメッテルニヒ侯爵は、ブルジョワの政治活動や権力への反抗を阻止することに全力を傾けた。文書の検閲、厳しい警察の監視やスパイ行為によって、ブルジョワは「害のないこと」にのみ従事するように強いられ、家庭に押し戻された。食べることや飲むことは、そうした「害のないこと」のひとつであった。
 
-ビーダーマイヤーの食事-


 オーストリアの歴史において、ビーダーマイヤーは、くつろぎや家庭を重視する時代として記憶される。人々は、音楽会や詩の朗読会、午後のお茶、郊外のワイン農家ホイリゲでの食事などを楽しんだ。ビーダーマイヤー時代の家庭の食堂は、快適な豊かさを誇り、すべてが気持ちの良い食事のために準備された。象嵌細工を施した木製テーブルは、食事時にはしばしば、多彩な色のテーブルクロスをかけて保護された。食器類は、アンピールかロココの様式でなければならず、そのモチーフには、小花を散りばめた文様から原色のはっきりした幾何学的模様まで、いろいろなものがあった。
 貴族の家庭では、料理を一度に出すフランス式給仕法がいまだ支配的ではあるものの、料理を一品ずつ出すロシア式給仕法も徐々に定着し始めていた。その一方で、市民の家庭のメニューはずっと控えめであった。主要な食事は原則として、スープやあばら肉、胸腺、タン、ソーセージ、腎臓、ゆで肉、カイザーフライシュ(豚バラ肉のベーコン)などと野菜を煮た「サッテル」、ペーストにした肉類、ローストした肉、そして粉を使ったメールシュパイゼであった。スープの具は、ヌードルやクネーデル、ノッケル、精白大麦、ラビオリ状のシュリッククラプフェルなど多彩であった。
 
訳注 ※ドイツ・オーストリアでの芸術様式のひとつ。簡素で実用主義的な様式。1850年代に発表された小説中の誠実であるが事なかれ主義で俗物的な小市民、ゴットリープ・ビーダーマイヤーから後に名付けられた。

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