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情報誌CEL

田中 英司

2010年07月01日

日本映画における家族の肖像

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2010年07月01日

田中 英司

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情報誌CEL (Vol.93)

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 無声映画の時代から今日まで、日本映画は多種多様な家族を描いてきました。
 家族映画というジャンル定義は耳なれたものではありませんが、日本映画には家族をテーマにした映画の系譜があることは疑いようがありません。
 家族映画といわれてすぐにイメージが湧くのは松竹という会社の作品です。松竹映画には、ずばり『家族』(70)という映画もありますし、国民的映画シリーズの『男はつらいよ』(69〜95)も家族映画の系譜だといえるでしょう。
 松竹映画の伝統である人情と人生の悲哀というテイストこそが家族映画と呼ぶにふさわしく、そのテイストを築き上げた2人の有名な松竹映画の監督を挙げることができます。その2人とは、小津安二郎監督と山田洋次監督です。
 面白いことに小津がそのキャリアの最晩年となった昭和30年代後半(1960〜64)からバトンを受け取るように山田洋次が頭角を現し、同時にこの時期を境にテレビという新しいメディアが映画を脅かしはじめるのです。
 小津安二郎の晩年のほとんどの作品は家族映画でした。その作品をあらためて見ると、昭和40、50年代(1965〜84)に多くのテレビ局で放映していた「ホームドラマ」の雰囲気に似ています。家庭内の些細な問題を大事件であるかのように取り上げ、和解や改善、離別といった結論に導くテレビのホームドラマは、どこか小津の亜流、イミテーションのようなテイストを漂わせています。
 しかし両者が決定的に違うのは、小津はホームドラマを作りながら、家族というものを信じていない作家だったということです(小津は生涯を独身で通しました)。小津の代表作である『東京物語』(53)をよく見ると、家族の善意が無意識の悪意となってしまう様、つまり親孝行が親の命を縮める結果となり、親子双方がその事実に気づかぬまま「ありがとう」と頭を下げ合っているという恐ろしい映画であることに気づくはずです。
 小津は、家族や家庭というものが持つ宿命的な「儚さ」に敏感な映画作家でした。家族や家庭は崩壊する運命にあり、崩壊することによって家族の構成員それぞれがはじめて自我というものに目覚めるものだ、と小津の映画はささやきつづけているのです。
 娘が嫁ぐ、親が地方へ引っ越す、子供が自立することで、家族の調和は一瞬の幻のように崩れ去るのだというメッセージが、その作品からは痛いほど感得できます。
 小津が『東京物語』を発表してから5年後の1958年。家族の儚さを決定づけるショッキングな映画が登場しました。寒村の家族が食料の節約のために母親を山に捨てに行く、「姥捨て山」の伝承に材を採った『楢山節考』(58)という作品です。この映画が語るのは、家族と経済の重要度において、ときには経済が優先されるという衝撃的な方法論です。これが名作として人口に膾炙したことは、戦後の日本人の家族観に不気味な傷痕を残しました。家族の絆とは、かくも儚いものである、といった観念を監督の木下恵介は芸術にしてしまったのです。
 家族は儚いものであるということは、経験上、誰もが疑う余地のない事実でしょう。家族とは変化し、やがて崩壊する。その寂寥感にドラマのポイントを置くことはいささか凡庸であるともいえます。事実、才能ある映画人はしだいに家族というモチーフから距離を置くようになり、廃れてゆきました。

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