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2019年12月18日 by 池永 寛明

【起動篇】なんでも“無理”という人 ― めんどくさい日本(3)


上司がうるさい、同僚もうるさい、部下がうるさい、残業がうるさい、会社がうるさい。先生がうるさい、親がうるさい、お客さまがうるさい。なんでもかんでも無理、うるさい、めんどくさい。じゃ、うるさいこと、めんどくさいことをとっぱらったら、どうなる?


働き方改革だというので、会社にいる時間は減ったが、やることがない。時短しろ時短しろと言われて時短したが、それで出てきた時間に、何をしたらいいのかのイメージが湧かない。


時短して浮いた時間に、スマホでSNS。これまでよりも、SNSをしている時間が長くなったら、今度はSNSがうるさくなった。こっちのうるささをとったら、また新たなうるささにとりつかれる。


明治維新で、士農工商のうるささから解放された。家長制度から解放された。そして戦後、生まれ故郷から解放され、ついに家からも解放された。うるさいことをどんどん振り払っていった。さらに友だちがうるさい、親がうるさい、パートナーがうるさい、子どもがうるさい、家族がうるさい。うるささから解き放たれて、気がついたら、一人ぼっちになった。


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うるさいことから、自分をとりまく煩(わずら)わしさから、解放されることが、「自由」だと思う人がいる。しかしうるさいことから、解き放たれることが本当の「自由」ではない。煩(わずら)いと思うことがなくなっただけであって、本来的には「自由」とは無関係である。


では、面倒くさい仕事をすべて放り投げて、なにをするのか― おそらくすることがない。働き方改革で浮いた時間にやることがない。空いた時間に自己啓発だ、将来への投資だと勉強会に参加したが、 <難しい→めんどくさい→うるさい→やってられない→やめる>となり、また放り投げる。働き方改革は本来、なんのためにするのかがないなか、手段が目的化する。働き方改革だけでない。手段が目的化していることが増えた。


自分にまとわりつく煩わしさ、うるささを取り払っても、実はやることがない。イヤな上司や会社をディスるのは、うるさいモノをキラっているだけで、それらを取り除いた後、仕事を、職場を、会社をどうしたいのかのビジョンはなにもない。めんどくさいモノを取り除きたいだけ、うるさいコトから逃げたいだけの人が圧倒的に多い。だから日本では本来的な革命は起こらない。


この日本人の「うるささ」「めんどくささ」の価値観・感性がプラス方向に向かうと、日本的なる美・モノ・コト・文化をうんできた。とりわけ近年、海外から注目される日本的なる「ミニマリズム」「シンプル」「スマート」はこの文脈にある。


しかし手をかけて丹精につくる、物事をすすめて、じっくりとつくりあげていくという行動様式が日本人、苦手になった。たとえば美味しい料理をつくるためには、3日3晩じっくりと煮込み手をかけつづけなければならないということは分かるが、私には無理、そんなに時間をかけるのはめんどくさい、もっと簡単にパッとつくれないの、もっと楽にできないのに力点がおかれるようになった。


何年もかけてコツコツと彫りつづけ刻みつづけてつくりだす工芸品は精緻で、美しく、素晴らしいとは思うけど、私には無理、めんどくさい、できない。むしろどうしてそんなに地道に目立たないことをするのか訳わからない。鍛錬する、精錬する、丹精をこめて、手数をかけて、ものづくりする、勉強することは、自分には到底無理、できない。このように家庭や社会にいろいろな“無理”が増え、うるさいこと、煩(わずらわ)しさからの解放をめざすビジネスがうまれ、本物が減り、贋(にせ)物・擬(まが)い物が増えていく。


うるささをとことん追求してシンプルさ、スマートさ、ミニマリズムを生み出すものと、わずらわしさ・うるささからの解放でつくりだす効率性とのバランスによって、日本人は日本文化を磨きつづけてきたが、そのバランスが一気に崩れだしている。


もともと日本人は「うるさいこと」がキライだし、「面倒くさい」のは嫌で、放り出したい。なにかをたのまれても“無理”、私にはできません。時間のかかる仕事は私には無理、めんどくさい。みんなの意見を聴くのも私には無理、めんどくさい。お客さまの意見を聴くのも私には無理、めんどくさい。マーケットの意見を聴きに行けといわれても私には無理、めんどくさい。だからスマホやビッグデータやデータサイエンスだといったりAIだとかを頼ろうとするので、現場感覚がずれ、ピントがずれ、物事が変容していく。


日本人はめんどくさいのが、うるさいのがイヤ。
だから相手と、お客さまと、直接話をせずに想像してきた。相手のひとはどう考えているのだろうか、どう感じておられるのだろうか、どう思っておられるのだろうか…と想像して、どうしたらいいのか、なにをしたらいいのだろうかと、お客さまの喜んでいる姿を思い浮かべて、それをつくったり、もてなしをしてきた。その日本人の強みだった想像する力が弱まってきた。それはなぜか ― 現場から離れ、お客さまとの接点が減り、現実にまみれなくなり、机上・パソコン・スマホの画面中心に考えてばかりいると、お客さまの姿、想い、現場、現実、リアルが想像しにくくなった。だから、こうしたら、こうなったら、相手がつらくなる、傷つくだろう、痛いと思うだろう、ということが想像できなくなった。


想像力を働かせて、うるさいほど、こだわり、手間をかけ、面倒なことを丹精を込めて、しつづける ― このある種「偏屈」で「うるさい」プロセスが「メイドインジャパン」をつくりあげた。こんなところまで綺麗にしているの、すごいね。こんな細かいことまで時間をかけて磨いているの、素晴らしいね。こんな誰も見ていないようなすみっこまで丁寧にしているの、さすがだね。それが日本人のうるささだった。


もうひとつのうるささから逃げていくなか、対極の「うるささ」に戻れなくなりつつある。バランスが崩れてしまいつつある日本、どうなるのだろう。


(エネルギー・文化研究所 顧問 池永寛明)


〔日経新聞社COMEMO 12月4日掲載分〕