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2019年12月16日 by 池永 寛明

【起動篇】うるさいのがキライな日本人 ― めんどくさい日本(2)



“オレのときはこうだった”と上司に説教されるのがうるさい。同僚が酒を誘ってくるのがうるさい。満員電車の隣に立ってスマホゲームをしている若者がうるさい。おじいさんおばあさんがスポーツクラブの施設を占拠してうるさい。家に帰ったら親に質問攻めされるのがうるさい。デパートのエレベーターに乗ったら中国人観光客の集団がいて、大音響につつまれてうるさい。日本人は「うるさい」がきらい。煩いは煩(わずら)わしいとも読むが、煩(うるさ)いとも読む。うるさいはめんどくさい、わずらわしいとつながる。「煩(うるさ)い」も日本人を理解するキーワード。


   煩(うるさ)いとはなに?

   ① 音が大きい

外国人、とりわけ中国人は日本に来られると、駅から商業施設から街の静寂ぶりにびっくりする。こんなに人が多いのに、どうして静かなんだろうと感じるという。日本人の印象は「物静か」。本当は日本人は静かが好きなのではなく、「うるさい」のがキライなだけ。外国人の日本人解釈は、「内向的で自信がないから無口」と映る。中国人は日本の街なかを大きな声で喋りながら歩くが、日本人の声は殆どきこえない。日本人からすると、中国人は“うるさい”と感じる。しかし中国人からすれば、日本人は“暗いなぁ”と感じる。中国人は日本人のいう“うるさい”という状態を悪いとは思っていない。“普通”だと思っている。東南アジアに行っても同じく“うるさい”。街は喧騒に包まれている。この「うるさい」が日本人と外国人を分けるコンセプトのひとつである。音が大きいことを嫌がる、うるさいというのが日本人の特徴。


   ② ひつこい

“何回も何回もうるさいなぁ” ねぇねぇお父さん…と声をかけられると“うるさいなぁ”と感じる。ひつこい状態が“うるさい”。日本人はひつこいことを嫌がるのに対して、欧米人は相手がわかるまで何度でも言う。日本人は「推して知るべし」であり、“推し量ればわかるはずだ、なんども言わせないでよ、うるさいことを言わないで”であり、ひつこいことを嫌う。なぜなのか ― 理由はなにか。“日本人だから”としか言いようがない。ハエがうるさい〔五月蠅い〕、 お母さんがうるさい、何度も何度も言ってくるからうるさいな、わかっているよ ― とにかく日本人はうるさいのがキライ。


   ③ いちいち文句を言う

小さいことにいちいち文句をつける。そんなこと、どうでもいいんとちがう?うるさいヤツだなぁ…の「うるさい」


   ④ 手間がかかって、やっかい

髪の毛が目にかかってうるさい。役所の手続きがうるさくて…、手間がかかってめんどくさい。


   ⑤ 高い要求水準、こだわり、見識

あの人は味にうるさい。うるさいというのは「要求水準」が高いこと


このように「うるさい」のバリエーションがある。この「うるさい」を英語にあてはめると、別々の英語となる。イザナギ・イザナミ時代のイザナギは黄泉(よみ)がえりしたときに、「煩い」を脱ぎ捨てた時の「煩い=うるさい」こそが日本人の根源的な特性であり、世界にはない(前回書いた、日本の「患者」と英語の「patient」に見られる病気への考え方の違いにもつながる)。さらに外国人の声が大きいのは、大きく言わないと伝わらないから大きな声を出しているのであって、みんなが大きな声を出すから全体として音が大きくなるのは当たり前。ひつこくないと引き下がる(=負ける)ことになるから、伝わるまで、分かってもらうまで何度も何度も言う。日本人は何度もいわれると、うるさいと思う。


前回、古事記の話で、煩(わざわ)いは外からまとわりついて、体に棲(す)みついてくるので、禊(みそぎ)によって脱ぎ捨てた服から煩(わざわ)いの神がうまれたことに触れた。神は今もなお日本人の身の回りにいて、何かあると外からまとわりついてくる、外患として取り憑(つ)く。とにかく日本人はうるさい事柄を嫌がる。手間がかかることを外国人が嫌がるのは「合理的ではない」からであって、日本人はただ「うるさい」から嫌がる、めんどくさいなぁ、うるさいなぁと。外国人はそうではない、必要な事だったら、細かいことだってやる。日本人はうるさいというだけで、嫌がる、拒否する。“それは無理”と、詳しく調べも聴かずに受け入れない。


「うるさい」事柄がどんどん増えつづけている。なぜ増えているかというと、外からやってくる「うるさいこと」が増えているのではなく、自分の側から“これ、うるさい、めんどくさい” “これ、無理、イヤ”といって、「うるさい」を増やしている。

近くの保育所で遊ぶ子供の声がうるさい。
新しくできた保育所ではなく、その保育所は昔からあって昔と同じように子どもは遊んでいるのに、うるさいという。このように、そもそもあったことでさえ、うるさいといいだした。自分からどんどんうるさいものを見つけ出し、それを脱ぎ捨てよう、切り捨てようとする。自分にまとわりつく「煩(わずら)い」として、どこからか「煩(うるさ)い」ものをみつけだして、拒否する。

近所の「うるさい」おやじが減った。
昔、“ここでこれしたらあかん、こうせなあかん”と言う口やかましいおやじがいたものだが、近所、街のなかの「うるさい」おやじをみんなが「うるさい」と言って排除していったから、いなくなった。しかも排除するだけでなく、社会システムのプロセスを複雑化させた。昔の社会プロセス、人と人との関係・手順はもっと単純であったが、「うるさい」のボルテージがあがり、いろいろな事柄の手順を複雑にさせた。うるさいことを言う人が増えれば増えるほど、マニュアルが分厚くなる。こういう時はこうする、そんな時はこうすると、めんどうである。やはり、めんどうな日本である。


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人はそもそもめんどくさいし、うるさい。
そのうるさい人がだれかと関わらざるを得ない。それが「煩(わざわ)い」となる。人と人との関係がめんどくさくなるという煩(わざわ)い。あなたが「うるさい」と思っているが、相手からすればあなたが「うるさい」と思う。このように、社会はめんどくさい。


太古の昔から人は社会を形成するにあたって、うるささにどのように対処するかの知恵をしぼった。それが社会のルールとなり、モラルとなった。社会に暗黙のコードがあった。うるさいものに対して、何らかのルールなり暗黙のコードで、「うるさいもの」と調和・バランスさせる社会をつくってきた。だから赤ちゃんが電車の中で泣いたって、“まぁ、赤ちゃんは泣くものだ”と、みんな、うるささに対応していた。それが今の社会では、対応できなくなっている。“めんどくさいなぁ、うるさいなぁ”と、赤ちゃんをあやす親に文句をいう。ちょっと前まであったルール・暗黙のコードが現代社会で通じにくくなりつつある。「暗号表」が共有できなくなり、「うるさい」が増えつづけている。


(エネルギー・文化研究所 顧問 池永寛明)


〔日経新聞社COMEMO 12月4日掲載分〕