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2019年10月07日 by 池永 寛明

【耕育篇】意味わかる 訳わかる


「あおり運転」が問題になっている。高速道路で右に行ったり左に行ったり、突然割り込んだり、急発進に急停止…事故がおこらないのが不思議なくらいの「高等運転技術」。
「あおり運転が」おこるのはなぜ。普通に走行している最中に、何が起こって、突然キレて、あおり運転をはじめるのはなぜだろうか。傍若無人な運転も多いが、あおり運転は他の車との関係でおこる。かんたんにキレて、あおり運転をする。これも「ディコーディングの失敗」ともいえる。

対向車がヘッドライトを一瞬光らせた。ヘッドライトの点灯という「暗号表」を知らないと、この意味がわからない。この合図はなんだろう?“この先で警察が速度違反の取り調べをしている”という情報を対向車に伝える暗号だが、反対に“パッシング”に受け止め、“なんだよ、このやろう、失礼だ”とキレる人もいる。ハザードランプをチカチカして車線変更に“ありがとう”を伝えたつもりが、後続車は“なにをエラそうに、生意気だ”と受け取り、ムッとして抜きかえしあおる。このように「暗号表」が共有されないと、「意味」がまったく変わって伝わる。

筋が伝わっていれば、ヤンチャな子でも、人として基本的なことをする。“こんにちは”と声をかけたら、“ちわ”と返事してくれる。人と会ったら頭を下げるもの、それが挨拶というものだということはヤンチャな子でもわかっている。しかし町中でばったり出会って挨拶がなかったら、“あいつ見て見ぬふりをした”となり、キレる。これも「ディコーディングの失敗」である。
大阪では人と会ったら、「儲かりまっか」 と声かけ合うことがかつて多かった。大阪以外の人にとれば、「どうして会った早々、お金の話をするのだろう」と「儲かりまっか」の意味がわからない。まさにディコーディングの失敗。しかし「儲かりまっか=大阪人の挨拶」だとわかれば、あっそうかと、「お陰様で元気にやっています」と返したらいいんだなとわかる。「儲かりまっか」といっている大阪人は相手に本気で儲かっているかどうかを訊いているわけではない。愛相で言っているだけ。

“若いけど、部長に抜擢”という人事があったとする。この年齢で部長になったら、どういう意味を持つかわかるだろう、自覚してやってくれるだろうと会社は人事の意味を考えて昇格させたが、本人は自覚しないで、“わたしは実力があるから、こんなに若くて部長になった。同期より優れているのだ”と自惚れる。会社がこうなって欲しいと思っていたことと、逆の結果になることがある。まさにディコーディングの失敗であるが、“言わんでもわかるやろ”ではだめ。コンテクスト(文脈・背景)を人事とあわせて伝えないと、想いとは別の展開になることが多い。“なぜあなたを部長にするのか”ということをきちんと伝えないといけない、“暗黙のルール”に頼ってはいけない時代である。


IoT、AIの技術進歩で、「意味わからん訳わからん」問題は、さらに深刻になるだろう。なにかの想いを込めるとか意を込めるとかについて、そのことが相手にちゃんと伝わるような暗号表を共有しないと、本意が伝わらないし状況がおかしくなる。しかし間接的に含意を持たせたり、インプリケーションで、何かに想いを託すことができなくなると、世の中、窮屈になる。

どうしたらいいのだろうか。「衝突」しかないのではないか。“両者が衝突しないように、先回りして、思いやりを以って接しなさい”とかつて教えられたが、今は「衝突」しあわないと、相手が言っている意味、訳が判らないことが多い。何回か繰り返すうちに、それがどういう意味かがわかるように、コミュニケーションで相手に配慮できるようになる。

「学校では仲良く」が大前提であり、いじめている人に対しては、「相手の気持ちを理解しなさい」と先生は子どもたちに教えてきた。いじめる側は頭に乗って、ますますいじめる。いじめられる側が“嫌だ、つらい、痛い、やめてくれ”と言わないと、いじめる相手にいじめられる側の気持ちは伝わらない。だからいじめがなくならない。

伝達とは、“これがこうだね、そうだよね”と伝えていくこと。伝達で、なによりも大事なのは「解釈する」こと。「意味わからん訳わからん」と、こちらの言うことが相手に伝わらないと嘆くが、「解釈」できていないことが多い。まず解釈すること。いろいろな言葉やサインや記号とか、それがどういう意味を持っているかをきちんと解釈して伝えようとしないと、相手に本当の意味は伝わらない。

人の前をとおるとき、「どうもどうも」と手刀を切る。相様でよく見かける古代から現代まで続く日本文化であるが、なぜこのような不思議な所作をするのか現代日本人の多くはわからなくなっている。人の前をやや腰をかがめて手刀を切りながら横切るのは、“申し訳ない、失礼します”という意味である。だれか二人が話をしていて、どうしても二人の間を通らないといけないとき、手刀を切って二人の間を“どうもどうも”といって通る。“どうもすみません”という意味だが、なぜそんな手刀のポーズをするのかわかっていない。しかしそれを知らない人は二人が話しあっている間を平気で横切るようになる。このようにして文化は衰退していく。

なにかを知らせたり理解したり共有するうえで、ベースになる「解釈」という基本的なプラットフォームが現代社会に欠けつつある。だから「意味わからん訳わからん」となる。では「解釈」というプラットフォームとはなにか。それは歴史に学んだり、事物・事象の伝統的なことへの理解だけでない。物事は将来にわたって再生産的にいろいろなことがおこる。長い間をかけてできあがった解釈の体系を踏まえ、今おこっているこれは過去のそれと同じ、ちがっているなどと解釈するベースのプラットフォームが日本において欠けつつある。

では解釈力はなぜ弱まるのか。あまりにも多くの物事が急激に変化しつづけているので、時間をかけてじっくりと「暗号表」を学ぶという社会教育ができなくなっているからである。それ?どういう意味なの?→意味わからん訳わからんとなる。正反対に受けとめられることになる。だから電車のなかで言い合ったり、会社のなかで意味が伝わらなかったり、スーパーのレジで急におこりだしたり、若い営業マンは営業先の工場長を怒らす。その原因を「人間関係」「誤解」と考えがちだが、それは問題の核心ではない。ミスアンダースタンド、ミスコミュニケーションではなく、「想っていることと間違った形」になるのは、行動・行為に盛りこんだ暗号表を、受け手側が解読できなくなっているからだといえる。

「意味わからん訳わからん」は必ずしもコミュニケーション上の問題ではなく、広い意味での「解釈」が必要である。私たちは相手に解読してもらうことに依存して手を抜くのではなく、話し手が相手にきちんと伝わるよう解釈するということをしっかりしないといけないのではないだろうか。

「意味わからん訳わからん」の3回シリーズの最終回。意味・訳わかりましたでしょうか?

エネルギー・文化研究所 顧問 池永寛明)


日経新聞社COMEMO  9月4日掲載分