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2019年09月17日 by 池永 寛明

【耕育篇】なぜセクハラがおこるのか


“オフィスでどう声をかけたらいいのか”わからなくなったという人が多い。たとえば「メシでもいく?」と、オフィスでしょんぼりしている部下の女性に声をかけたら、「セクハラ」といわれる。


セクハラは受け手が不快に感じるかどうかだとよく言われるが、「メシでもいく?」という言葉の意味は伝わって誤解はないが、“こういうとき”に、上司が部下に「メシでもいく?」という誘いをするという意味が部下には理解できない。上司が「メシでもいく?」に込めた記号・暗号が、受け手の部下には解読できない。だから意味わからん訳わからん、人によれば「セクハラ」だと感じる。

なにがおこっているのか。現代社会は、前回のCOMEMO「意味わからん訳わからん」で書いた図のように、送り手の「エン・コーディング」と相手の「ディ・コーディング」の失敗からひきおこされる問題が多い。よくセクハラ問題は上司に問題があると言われるが、上司と部下との間で「暗号表」が共有できていないことも原因だというケースも意外に多い。



上司は“落ち込んでいる部下に、ゴハンを食べながら話を聴いて元気づけたい”という想いを込めて「メシでもいくか?」と部下に言ったが、その「暗号」が部下の女性には理解されず、“こんなつらいときに、どうしてこんなおっさんと『食事』しないといけないのかが意味わからん、訳わからん、気持ち悪い”と感じ、「セクハラだ」と言われる。


こういうこともある。職場の女性が髪を切った。上司が「その髪型、似合うね!」と声をかけたら、セクハラとなる可能性もあるから言わないようにと「セクハラ防止教育」される。職場の女性は、“髪型、似合うね”という言葉の意味はわかるが、その上司にそれを言われる意味、訳がわからない。なによりもその上司にそう言われると、気持ち悪い、だからセクハラだと感じる。「その髪型、似合うね!」に込めた、“今日も元気だね。頑張ってね”というその上司の気遣いが、職場の女性には伝わらない。これも「ディ・コーディング」の失敗である。


会社の上司が部下に「お前、しっかりせえよ」と声をかける。それを、部下は「注意された」「叱られた」と受けとめ反発する。「お前、しっかりせえよ」に込められた「エール」を部下が読み解けないと、上司の励ましは伝わらない。“しっかりやれよ”という言葉の意味はわかるが、その言葉に込めた「頑張れ、君に期待しているよ」という上司の想いは部下には伝わらない。お互いが訳がわからない。これを“世代間ギャップ”だと識者は言うが、「エン・コーディング」と「ディ・コーディング」の失敗が問題の本質である。


言葉やモノに「なにかの意味」を込めるとき、相手がその意味を解読して解釈してこそコミニュケーションが成り立つ。しかし送り手と相手が同じ暗号表・コード表を持っていないと、送り手の想いは相手に伝わらない、共有できない。意味が共有できにくいのは「世代間」だけではない。同世代間でも、同性間でも、ありとあらゆる関係や場で、この「ディ・コーディング」の失敗が現代社会でおこっている。「意味わからん訳わからん」がいたるところでおこる。


「ずっと一緒にいるのに、なんでわからんのや」、ディ・コーディングの失敗は夫婦の間でもおこる。ぼくたちわたしたちは「夫婦」で長い間いっしょにいるから、わかりあえる、理解しあえていると思いがちである。“言わんでもわかるやろ”と思っているから、話を端折ったり中間省略したり短縮したりする。夫婦だから、物事についての解釈や斟酌のベースになる価値観や価値基準が相手も同じだと思いこむことによって、適合不全をひきおこす。“相手と共有しているだろう”と思い込んでいるから、意味わからん訳わからんがおこる。


日本は「見立て」や「ミニマリズム」という方法論で、なにかになにかを託す文化の国である。あらゆる分野に「暗黙知」が多い。しかしお互いの「暗黙知」が同じであるという保証はない。日本文化は、目に見えないことを観ようとし、耳に聞こえないことを聴こうとしてきた。その日本文化が「目に見えることは見えるが目に見えないことは観えない」「耳に聞こえてくることは聞こえるが、耳に聞こえないことは聴こえない」文化に変わってしまった。かつてあった日本文化が滅んでいくのは、文化を形成してきた「暗黙知」が共有されなくなってきたことが大きな原因のひとつといえる。つまり文化を承継する人の「エン・コーディング」と文化の受け手の「ディ・コーディング」の失敗である。


「お土産」文化もそう。お土産を贈る人とお土産を贈られる人どおしの価値観が共有されていなければ、“あの人、センスが悪いな、どうしてこんなのを送ってくるのかな”と、お土産をもらう人が感じ、お土産を渡した人は、“お土産をあげたのになんの御礼もない、なんて失礼なヤツだ”と感じる。


話が噛み合わないのは「ディ・コーディング」の失敗である。暗黙に“そういうものだ”と思いこむのは危険である。相手が思っていることと自分が思っていることが同じであるとは限らない。「ディ・コーディング」が失敗しているのに、若いヤツのいうことは訳わからん、年寄りのいうことは訳わからん―ではない。お互いが「暗黙の了解」を理解・共有できない社会となっていることに気がつかないといけない。


次回「意味わからん訳わからん」の最終回。意味がわからん訳わからんは何故おこるかをみてきた。ではどうしていけばいいのかを考えていきたい。