CELは、大阪ガスグループが将来にわたり社会のお役に立つ存在であり続けることができるように研究を続けています。

エネルギー・文化研究

  • サイトマップ
  • お問い合わせ
  • 大阪ガス総合トップ
  • 大阪ガス

JP/EN

Home>コラム

コラム

コラム一覧へ

2019年08月08日 by 池永 寛明

【交流編】 容赦を求める空気観


スピード違反でつかまった人がいたとする。

「オレだけじゃないで。他の人もスピード出していたのに、なんでオレだけなんや。なんとかならへんか。」と言って、容赦を求める。昔からそういう人はいたけれど、最近、とみに増えている。


駐車禁止違反(駐禁)をとられて、

「たまたま停めただけやのに、駐禁をとられるのはおかしいんとちゃうか」と文句をいう人に、したり顔で「有料駐車場に停めたら、よかったんや。そんなところに路駐するから、駐禁になるんやで」と注意したその人が、今度は自分が路駐して駐禁をとられた。するとその人は、「勘弁してえや」「赦(ゆる)してえな」と容赦を求める。他人には厳しく、自分には甘い。


こんなシーンもよく見かける。

マスコミで「素晴らしい」と、とりあげられ、チヤホヤされて評判になった企業や人がある時、失敗したり、つまづいたりすると、率先して、その企業や人を叩く。話題になっているときは、なにも言わない。しかし本当はちょっとおかしいのとちがうか、ちがうんとちゃうかということに、みんな気づいている。それをいうと、自分が「排除」されるかもしれないので黙っている。しかし相手がズッコケたら、容赦なく攻める。なぜそうなるのかを考えてみる。


江戸時代の大坂・堂島米市場の商いは、世界初の先物取引だった。

春に種をまき苗を育て田植えして、稲の成長を見守り、秋に収穫する。そして全国から海路・陸路で運んで、お米を蔵に入れたときに決済する。それまでの間は、先物で米の商いをする。値段があがるとおもう人たちと、値段がさがるとおもう人たちがいて、先物取引が成り立つ。いろいろな思惑が入り混じり、得をする人の数だけ損をする人がいる。それが世の中だった。


天下の台所と言われた大坂経済を「先物取引」がささえた。

「損をする人の分だけ得をする人がいる」ということを、経済観念やモラルのなかに、しっかりと内包していた。この本質は現代も同じ。株で大儲けした人がいるということは、どこかで大損をした人がいるということを受け入れなければ、社会・経済は成り立たない。大儲けする人たちだけで市場は構成されるのでも、大損する人だけで構成されるのでもない。


それが変わりつつある。

株で損が出た。損をした人は「オレはだまされた」「なんとかならへんか」などと言って、やはり容赦を求める。しかし株で損した人の分だけ、株で得した人がいる。損をした人の分が配分されるから、経済は成り立つ。それが、みんな株で得をすることだけを考えるようになった。


なんやかんやと、「容赦」を求める。

自分が失敗したり、うまくいかなかったり、損をしたりしたら、「なんとかしてえや」「もうええやろ」「もういっぺんやらして」と容赦を求める。しかし自分でない他人、他社が失敗したり損をしたら、決して容赦を許さない。「それはあかんで」と徹底的に攻撃する。やはり他人に厳しく、自分には甘い。


自分に甘く他人に甘くなると、どうなるか。

なんでもかんでも「容赦」が認められると、「公序良俗」という社会全体のモラルだけでなく、収益性がさがる。本来、社会には損をする人も得をする人もいて、損と得が「入れ子」になって、社会に分配されていくということを許容しなければ、世の中はおかしくなる。その構造が崩れていく。

 

 (エネルギー・文化研究所 顧問 池永寛明)


〔日経新聞社COMEMO  7月24日掲載分〕