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2019年03月22日 by 池永 寛明

【耕育篇】 「おむすび」があの日の憧れでした。


「おかげさまで、8年間、生きることができました。今日はおむすびの日です」というメッセージが大きなおむすびの写真とともに、311日にLINEで届いた。「あの日から8年。爆音と寒さに震えた夜、避難所でいただいたおむすびに生きようと誓った。大きなおむすびがあの日の憧れでした。食べられることがしあわせだと、感謝した日でした」と、宮城県気仙沼からの現場の声が心に響く。


311を風化させてはいけない」「前からこうなると、私はずっとおもっていた」「想定外という言葉は本来ありえない」と騙(かた)る人が増えている。現場に行かず、エアコンのきいた静かな場所から騙る人がどんどん増えている。彼らの騙りには、有事の像が見えず、リアリティを感じさせない。まったく現場感覚がない。プロセスが見えない。そもそも当事者意識が不足している。


2011.311以降、現場における価値観が大きく変わりつつある。10年後、20年後、30年後から振り返ると、あの日がターニングポイントだったと再認識する出来事だったと私は思う。それまでのコスト重視、環境重視から、生命重視へと価値観が地殻変動のように変わりつつある。有事において、「生命を守る」ことをなによりも優先すべきだと考える人たちが増えた。


「体温が自ら調節できない病気の子どもを守るため、施設内に有事用シェルターをつくりたい」「この薬をお飲みの方々に確実にお届けするために、有事がおころうとも3日間薬をストックする保管スペースを守りたい」「地震で怪我をされた方の緊急治療と手術ができる病院でありたい」「平時は子どもたちに2000食の給食をつくるセンターを、有事に被災者向けに1400食の食事をつくれるセンターとしたい」

など有事におこること、姿を想い浮かべ、それを乗り越える対策をとる人たちが一気に増えた。一方、「地震はもうしばらくおこらない」「私のところは大丈夫」「なにかがおこったら、そのときに考えたらいい」という人たちがおられるのも事実。しかし現場は311からも度重なる地震・災害に学び続け、確実に「生命」重視に動きだしている。


「大学はなにがなんでも学生を守らないといけない。有事において、トイレと水と通信の3つが、なによりも大切」

24年前、神戸で阪神・淡路大震災の被害に遭った経験から、自らがつとめる大学での有事対策をひとつひとつ、順次とりつづけている大学幹部がおられる。8年前の東日本大震災をはじめ他のエリアでの被災状況にも学び、自らの大学での準備、対策をおこないつづけてきたものの、昨年、その大学を大阪府北部地震が直撃した。


これまで経験したことのない地震が起こった。何年もかけてつくり続けてきたハードウェアは有事において機能したものの、運用面で現場は混乱した。「そのときに、なにがおこって、だれがいつ、なにをどう判断して、どのように動くのかを具体的に想像し、考え、準備、訓練して、常時ハードウェアと運用方法をアップデートしつづけないといけない。対策が100%完了することはない」。


状況は絶えず変化しつづける。いったん作った計画は常に通用するわけではない。たとえば今、大学キャンパスは地震をあまり経験したことのない海外留学生が増えている。「彼らの有事がおこったときの不安な心に、どう寄り添えるか考えないといけない」と大学幹部は次の対策を見据えている。


プランが先行することが多い。ともすれば、だれかがどこかで作ったプランをもってきたものを自分たちのプランにする。だから本番で、現場で、混乱する。有事対策だけではなく、ビジネスプランもたいていそう。


想像力が貧弱だから、できあがりのイメージ、出口が不鮮明。当然プランは具体性がない。また「考える人」がプランをつくったら、あとは「現場がすること」と知らんぷり。「プランを考える人と現場の人」がバラバラで、だから物事が進まない、動かない。なによりも「プランは実行してなんぼ」なのに、プランにリアリティがないから、現場で運用できない、機能しない。このような失敗に学ばないから、何度も失敗をくりかえす。


「ビジネスにアート」という文脈は決して突拍子もない話ではない。むしろメインロードかもしれない。


(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)


日経新聞社COMEMO  313日掲載分