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2018年12月28日 by 池永 寛明

【起動篇】 「誰からリストラするのか」 ─ 圧倒的に多かった答えは。


あなたは入社15年目の管理職です。あなたには部下が10人います。1人をリストラしなければならない状況になりました。管理職のあなたは、誰からリストラしますか?」


という設問を出し、学生がそれぞれ回答メモを書いたあと、グループディスカッションした。ある女子大での授業の一環。人の能力のあるなしを見極めるのは難しい。だから部下のこれまでの業績を勘案・熟慮して、いちばん業績があがっていない人をリストラせざるを得ないという答えが学生から導かれるだろうと、設問を考えた時に想定していた。


しかしその女子学生たちの「答え」は180度ちがっていた。「最も能力の高い人をリストラする」という「答え」が圧倒的だった。この結果をもとに、女子学生たちとディスカッションした。なぜそう考えたのか、彼女たちはこう考えた ─ 能力の高い人間はいつかこの職場を捨てるだろう。彼らを職場に引き留め、気をつかって大事にしたにもかかわらず辞めていったときの会社のダメージははかりしれない。とするならば、能力の高い人間を先にリストラすべきだ─ これが現代の大学生の就業観でもある。


そもそも企業においてリストラが必要であるというのは、なんらかの事業収益上の問題をかかえているからである。だから「最も能力ある人材をリストラする」ということは事業収益に反することになる。本来ならば業績が悪い人、コストがかかっている人を外すというのがこれまでの企業論理である。


彼女たちはそうではない。「最も能力の高い人をリストラする」というのは生存本能そのものといえる。能力の高い人は自らのレベルをスタンダードにおき、その能力に達していない人をリストラ対象とみる。いつかおそらく管理職の自分も含めてリストラするだろう。だったらそういう人間こそ先にリストラしたほうがいいと考えた。まさに、現代社会の閉塞感そのものの行動様式である。


他と違う人、常ではない人は、パフォーマンスをあげればあげるほど、組織のなかで嫉妬され、排除されがちである。そういう人が人事で抜擢され、それがスタンダードとされると、それができない人々に不安を与える。


これは料理でいえば、鍋に出てくる灰汁(あく)ではなく、鍋の旨みをとっているようなもの。今、日本社会に顕在化している閉塞感を象徴している実相のひとつである。大学の授業だけの問題とはいえない。


(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)


日経新聞社COMEMO  126日掲載分