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2018年09月05日 by 池永 寛明

【起動篇】 畿内はそれぞれであり、ひとつ

大坂は、海と川からつくりだされ、生駒山や六甲山に包まれた町である。飛行機で大阪湾から大阪に降りていくとき、あべのハルカス展望台から眼下を眺望するときに、いつもそう感じる


江戸時代の大坂鳥瞰(ちょうかん)図には、北前船や菱垣廻船などの大船・小舟が瀬戸内海、湊、淀川12堀を行き来している様が描かれ、水路と陸路のネットワークが天下の台所をつくりあげたのだという地政学的な必然性を感じる


江戸時代、大坂三郷(大阪城下の北組、南組、天満組)に600もの町が作られ、町単位に自治が行われていた。そこには約30万〜40万人が住み、働き、学び、遊び、日本中から商いや観光で多くの方が訪れる、人と情報が高密度かつ高速で交錯する町だった


しかし大坂は大坂三郷という商業都市のみで成立したのではない。廻船が運んできた国内各地からの材料を、大坂三郷と大坂近郊の都市や農村、さらに摂津・河内・泉州や京都はじめとする畿内の各都市とが連携して「モノづくり」をし、付加価値を生み、廻船で江戸や全国に運んだのである。


私たちは現代人の目線で行政区分の枠組みによって物事を見てしまいがちだが、古代から江戸時代までは各都市は独自性を持ちながら、京阪奈におけるヒトモノコトの交流は活発であり、一体的だった。畿内はそれぞれであり、ひとつでもあった。


エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明


産経新聞夕刊  618掲載分