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2018年08月24日 by 池永 寛明

【起動篇】 大坂・大阪の誕生

湊(港)は英語でport輸出export輸入はimportimportantは重要という意であり、湊は都市の大切な場。


が速いから浪速、魚()が捕れる庭だからなにわと呼ばれた。海と川と湖交じりあった湊ヒト・モノ・情報を交流させ、産業・経済生みだした。シルクロードの終着点でもあり国内外からの文化を受け入れ融合し、新たな文化を創造した。縦横に広がる水路を縫うように道がつくられ、物が運ばれ、市がたち、人々が集まる町が形成された。 


中世に入り、海外交易を担った自由商業都市・堺とともに、淀川の重要性を発見した「大坂(石山)本願寺」が建てられ、跡地に大坂城を中心とした現代繋がる都市をデザインしたのが豊臣秀吉。夏の陣で城下は焼失したが、大坂の持つ水路ネットワーク性を再認識した幕府は城下を復興し、堺や伏見などから商人を集め、西廻り航路などで日本各地と大坂の湊をつなぎ、米・魚・野菜の3市場をつくりあげた。


その上に問屋・株仲間などの付加価値創造システムと、町人の学びの場が加わり「天下の貨(たから)七分は浪華にあり、浪華の貨七分は船中にあり」といわしめた天下の台所・大坂を生み出した。


(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明


産経新聞夕刊  1016掲載分