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2018年08月21日 by 池永 寛明

【耕育篇】 日本は、あかんことない ─ 「想像」する力

  


今月の大切な予定はいつですか?」と、私の通っている散髪屋さんは、今月の重要なスケジュールを訊く。大きな用事のあった1週間後の髪の状態をイメージして、彼女は散髪する。散髪1週間後、私のお気に入りの状態になっている。外国で、こんなことを気にする散髪屋は少ない。


「美味しく食べてもらえよ」と出荷するときに、日本の畜産業の人が牛に声をかける。お肉を買って料理してお客さまが“美味しいよ”と食べておられる姿を浮かべて、牛を育てる国など世界のどこにあるのだろうか。そんなお肉が美味しくないわけがない。


思うも想うも、同じ「おもう」と読む。しかし言葉の成り立ちはちがう。相手を「思う」は、頭で考えて心で感じること。今日は雨が降ると「思う」、漠然と将来を不安に「思う」、お母さんを「思う」では ─ その像ははっきりとしない。一方、相手を「想う」は、具体的対象の姿を思い浮かべること。お母さんを「想う」とは、たとえば年老いたお母さんが怪我をしている姿を浮かべて、心配すること。想像とは、対象の「像」というイメージを心に浮かべること。

日本のフィルタリング、磨きあげ(前々編「日本は本当にあかんのか」)は、まさにこれである。この商品がどう使われるのかというイメージが目に浮かべ、モノをつくるのが日本人。一方、欧米はロジカルに考える。「これはこうで、こうなるはずだ、だからこうする」というステップで考え、モノをつくる。


たとえば、ペットボトル。ロジカルに考えると、ペットボトルは水分を補充するものと捉える。だからペットボトルは物質的なもの(左図)になる。一方、日本人は具体的に人が飲んでいる姿、シーンを心に浮かべる。その姿がイメージできると、これはこうしたらいい、この方がいいじゃないかと、ペットボトルの形をどんどん見直していく。それを飲む人にとってよりよいもの(右図)に練りなおしていく。近年、日本はロジカルシンキングをしなければといって、「得意技」を失った。


日本料理の盛りつけは、この「想」でつくられる。料理人は、“美味しそうだな、きれいだな”とお客さまが感じて食べられる姿を心に浮かべて、お皿に盛りつけていく。頭で考えてロジカルに料理していくのではなく、お客さまが食べて笑顔となられる姿をイメージしながら、“こういう感じだよね、ここをこうしたらいいのではないか”と創意工夫して微修正していく。想像=具体的な像・イメージの鮮明度をあげて、「こうしたらええんとちゃうの」という感性を磨き、育て、日本料理を洗練させ、美味しさをつくりあげてきた。


「日本製品は故障しない」と、世界から信じられている。“故障しない製品をつくりたい”という気持ちは世界共通、機械が故障するというのは、どこも同じ。そのなかで、日本のモノづくりのなにがちがうかというと、「1週間で動かなくなったら、お客さまがこまるだろう。だから、せめて3年間は動かなくならないようにしないといけない」と考えて、厳しいスペックを入れて、磨きあげていく。モノを買う立場からいうと、有り難い「お節介」であるが、お客さまにとっては嬉しいこと。だから日本製品は世界品質となった。


海外のモノづくり、サービスは使っている人のことをイメージしていないことが多い。モノを買うときに動いていればいい、故障したら有償で修理してもらえばいいのだという考え方でつくっていることが多い。日本は使う人の気持ちになって、使っているときに、こわれたらこまるだろうと考えて、ものをつくる。使っている人の使い方の像、イメージを心に浮かべて、すこしでもいいものへと工夫してつくってきたのが日本のものづくりだった。


想像力 ─ 使っている人の姿・状態を心に浮かべる。そのとき浮かんだ使っている人が、これがいいだろうな、この方がいいだろうなと感じ考えるという価値観が、日本製品を世界品質に仕上げた。モノづくりにおいて、このプロセスが重要である。過剰品質といわれたらそれまでだが、お客さまにとって“それがあれば良い”と思ってつくることは、有り難い「お節介」である。しかしそもそも壊れないものをつくるということは、お客さまにとって良いことだ。


しかしながらパソコン、携帯電話で、日本企業は苦労した。いらないものをいっぱいつけてしまった。アップルのようなシンプルさが世界トレンドであるのに、ゴチャゴチャしたものをつくって、お客さまの支持が得られなかった。ゴテゴテして、“こんなのいらない”と市場から受け入れられなかった。本来の日本的モノづくり発想ならば、お客さまが最も喜んでいただけることを、最も少ないもので実現していかねばならなかった。日本はその逆をしてしまった。


「ミニマリズム」を最小主義と訳してはいけない。本来の「ミニマリズム」とは、お客さまがその商品を手にして、そのサービスを受けて、喜んでおられる姿をイメージして、最小限で実現すること。それ以上の機能は、余分であり、過剰であり、お客さまの喜びを阻害する。日本の「ミニマリズム」とは、数が少なればいいのではない。なにに対して最少かというと、相手の喜び、幸せという出口、答から照らしあわせて、最少であるべきである。あるモノを減らしていく「断捨離」は、ミニマリズムではない。あなたは「お客さまを想像」できているか?次回は日本の強みの本質 ─ 「想像」と「創造」を考えていく


(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)


日経新聞社COMEMO  83日掲載分