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2018年07月20日 by 池永 寛明

【起動篇】 日本は本当にあかんのか?─ iPhoneを日本で買いたい外国人

 


iPhoneを日本のiPhoneショップで買う。マクドナルドも日本のマクドナルドで食べることに、意味がある。日本のマクドナルドが「洗練」されているので、アメリカの中国のマクドナルドではなく日本のマクドナルドで食べることに、価値がある」と、友だちの中国の実業家はいっている。


セブンイレブンもマクドナルドもアメリカ発であるが、日本の経営が入ることで「洗練」されて成長したことも、ナイキもオニツカタイガー(現アシックス)のアメリカ販売委託契約店からスタートしていることも、レッドブルもリポビタンDからヒントを得たということも、その中国人実業家は知っている。


もっと中国人は知っている。サーティーワンアイスクリームもミスタードーナツも、マックスファクターもみんな「Japan Made」で、日本で「本物」になったということを。それは海外のモノの物真似ではけっしてない。海外から入ってきたモノ、コト、技術を、日本人の感性や設計によって「磨き上げ」て、洗練さ、心地よさを生みだしてきた。


1300年前、インドの戦闘神である阿修羅を、アイドルのような美少年像に昇華させた興福寺の阿修羅像。サンスクリット語からの表音漢字で翻訳された「般若心経」を空海たちが日本的に翻訳したり、中国の漢字からカタカナ・ひらがなをうみだした。このように日本人は海外のものをそのまま日本に持ち込んだのではなく、日本的なものへと,あらゆる分野、領域で次々と変換させてきた。海外から入ってきたコード(暗号)を、日本的に洗練されたモード(様式・方式)に変換させてきた。1のものを100に翻らせてきた日本的な翻訳力が日本の様々な文化をつくりだした。


なぜ同じiPhoneであるのに、中国で製造した家電商品であるのに、日本の店で買うのか?外国人からすれば、「日本にあること」「日本で売っていること」「日本で買うこと」に、意味がある。私たちがブランドの洋服や鞄が日本の店にもあるのに、わざわざイタリアやフランスや英国に買いに行っていた行動と似ている。現代中国やアジアの方々にとって、日本に置かれている「もの」は、自国と同じ「もの」ではないと感じる。日本の店にそのものが並べられているということは、日本人の価値観という「フィルター」で選ばれたもの、日本人の「フィルタリング」がかかり、ブラッシュアップ、磨きあげられて、店に並べられているのだと受けとめ、見ている。


これは、どういうことなのだろうか?阿修羅像、空海、ひらがな・カタカナといったコードからモード化してきた日本的翻訳文化は、学問、美術、芸術だけでない。都市にも生活にも産業にも承継され、今もその「翻訳文化」は残っている。これらの日本的感性・感覚とはなにかをみてみる。



(1)お茶のペットボトル お茶のペットボトルは緑色である。黄色のラベルだったら、日本人は変に感じる。緑が好きだから緑色というのではなく、日本人の感覚に「おさまり」がある。この「おさまり」を外れると、違和感を覚える。(2)〔○〕 ①は純白で、日本人はこれを「無垢」と呼ぶ。②は小さくても1点の黒(・)が入れば、「白」でなくなる。この小さな1点(・)がすべてを変えるという感性が日本人にある。




(3) ①は日本の服で、②は中国の服だ、と日本人は感じる。すこしだけ見える色(差し色)が全体を支配するという感性、「差し色」で意味を変えるという感性が日本人にある。(4)トレーナー 黒のトレーナーに白い刺繍が入る。そうすると外国の人は黒地に目が向くが、日本人は白の刺繍に目が奪われる。面積で捉える外国の人に対して、小さくても白が入ると、白が全体を支配し、さらに白がどこにあるのかをこだわるのが日本人である。




(5)山と桜 山のふもとに、桜の木が咲く。桜が咲くまでは山が全体を支配していたのが逆転し、一本の桜が山を支配し山の緑が背景に変わる。(6)日本料理その家の庭にある季節の葉を摘んで、料理のお皿にそっとのせると、全くの別物になる。日本料理の本質は「絶妙」さにある。


これらの日本的感性・感覚は、目に見えない。だれかに教えられたわけではなく、日本人は日常生活のなかで身につけてきた。これを「デザイン」とか「美的センス」というような月並みな言葉でとらえてはいけない。


お客さまからどう見えるのか、お客さまにどのようなことをしたら喜んでいただけるのか、お客さまにいいなとおもっていただけるのか、心地よいと感じられるのかという、お客さまを想う、想像(対象の姿(イメージ)が目に浮かぶ)力がこれらの感性・感覚を磨きあげてきた。この相手のこと、相手のこころを想うという想像力が、美術、芸術、芸能だけでなく、生活のなかで、モノづくりや商いのなかで、日本的な「フィルタリング」として発揮され、磨きあげられたものをつくりつづけてきた。海外から日本が評価される日本的なるものの正体のひとつは、この「フィルタリング」である。このフィルタリングをつくりあげたのは、海外からのコードをモード化する翻訳能力。このコードをモード化して、フィルタリングする力を日本人は自覚しなければいけない。日本は決してあかんわけではない。


(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)


日経新聞社COMEMO  720掲載分

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