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2018年07月18日 by 池永 寛明

【交流篇】 東京って、さびしいところなの

 


5年前に、東京から関西に来た。」と、関西のある大学の女性。


「昔は単身者が家を借りるのは大変だっただろうが、最近は単身女性用のマンションなどもできて、一人暮らしでも、普通に暮らせるようになった。しかし一人暮らしは孤立しやすく、きつい。仕事をしているので職場のつきあいがあり、良かった。それでも関西に来た頃は、「孤独」を感じていた。でも関西に来て良かった。東京にくらべると、「コミュニティ」があり、心地よい」


「自分の実家は練馬にあるが、なにもない原野の武蔵野を明治以降にひらいていったため、神社も仏閣も殆どない。お地蔵さんの物語も関西に来て初めて聴いた。東京は、東側の江戸からの下町をのぞけば、関西のまちのような歴史も文化もないので、山車や地蔵盆など人が集まる「シンボル的な場所」がない。東京ってコミュニティが喪失して、さびしいところなの」


京都祇園祭の山鉾行事を町が運営していることは知られている。貞観11869)年に祇園祭は、京都の疫病退散のみならず、日本全体の安寧と、前年の東日本での大地震や富士山噴火などの日本各地の大災害の犠牲者の鎮魂を願っての祭礼からはじまった。まるで今年のようである。


現在の山鉾巡行などの祭りの行事などのフォーマットは、応仁の乱後の明応91500)年に、両側町という自治組織の町衆たちが祭礼として再構築して、復興させた。山鉾が町中を巡行し、穢れを祓ったあと、八坂神社の神様を神輿でお迎えするというクライマックスの日だけでなく、京都の町の人たちは7月の1ヶ月かけての一連の行事を、山鉾や懸装類、道具のみならず、京都の「生活文化」を守りつづけた。明治維新後の近代化・中央集権化政策に伴う地域の個性と文化の喪失・忘却をのりこえ、祇園祭という文化を承継してきた。関西には、東京から来た女性の先生が驚く「地域コミュニティ」が残った。


「なぜ若い人は参加しないのですか?どうして高齢者ばかりの会なのですか?」と、ベルギーから参加したカーシェアリングの責任者が宮城県石巻市の復興住宅の「コミュニティ・カーシェアリング」の会とのミーティングで質問した。東日本大震災にて6万台の車両を失い、「移動に困っていた」こと、仮設住宅への抽選入居のため、見ず知らずの方々が集まったことと、震災後で自分のことで精いっぱい、人と交流する気力が生まれないなどから、地域独自の文化を失い、「コミュニティがつくれない」という問題が被災地ではおこっていた。この課題を捉え、カーシェアからコミュニティをつくろうという「カーシェアリング」を民間団体が地域に入り込み、コミュニティ単位に手づくりでつくっていった。企業のカーシェアリングビジネスではなく、「地域コミュニティが主体で、地域の人による地域の人のためのカーシェアリング」として7ヶ所、205名の方が参加する会に成長した。


「若い人は仕事があるから忙しいので、なかなか参加できない。」とカーシェアリングの利用者たちがベルギー人に向かって答えた。コミュニティ・カーシェアリングが普及しているベルギーやドイツなど欧州では、まち全体で子ども、若者から高齢者が参加し、三世代、四世代が車をシェアしてつながる組織を30年前より各地域で育てているが、高齢者中心(平均年齢73歳)の日本のコミュニティ・カーシェアリングとのコントラストの大きさが日本の現代社会の課題を浮彫りにする。


「もしカーシェアリングがなければ、どういう生活をされていますか?」との問いに、「病院にも買い物にも行くのが難しくなって、外に出なくなっているでしょうね。なによりも、みんなと一緒に話をする時間がなくなって、淋しくなるわ」と80歳のカーシェアリング利用の女性が答えた。その時、オブザーバーとして参加していた自治会の会長が、「私はカーシェア会には入っていないのです。このカーシェアリングの取組みは素晴らしいし、みんな喜んでいる。しかしこれは本来自治体の仕事であるはずだ」と、日本特有の「決め台詞」がでた。


「まちはだれのものなのか?」 ─ まちは自治体のものではない、市長のものではない。市がまちが住民になにかをしてくれるわけではない。祇園祭の山鉾は自治組織である町の人が毎年毎年、老若男女まじった「場」で助け合い教えあい学びあい、世代をつないで500年も文化を承継しつづけてきた。しかしその文化は、町だけでつくりあげたわけではない。幕府や藩、祇園感神院などを含めた体制、役割分担をおこない、それぞれの「分」を果たすことで、つくりあげつなげてきた。


まちは、まちの人のもの、みんなのものである。それぞれが自らの「分」を失い、「分」を果たそうとしなくなった。すぐ、これはだれかの仕事だ、国の仕事だ、自治体の仕事だ、会社の仕事だというようになった。決してかつて日本も、海外もそうではなかった。よりよいコミュニティをつくるためには、若い人も高齢者もまじりあう仕組みをつくり、それぞれが話し合い、それぞれの分を果たしていかねばならない。そういう場をつくることから再構築していかねばならない


(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)


日経新聞社COMEMO  718日掲載分

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