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2018年07月24日 by 池永 寛明

【交流篇】 ITカッコーと、はじかれる人と、迎合する人が繁殖する日本

 


「パソコンを導入したら人が減ってしまう。だからパソコンを導入しない」と、15年前に、ある市役所の幹部が話していた。オフィスにパソコンが普及し、メールやスケジュール管理サービス、ファイル転送サービスなど怒涛のように仕事のすすめ方を変える「ツール」が導入されつつあった時期だったから驚いた。銀行の店頭にATMが増え窓口のスペースが減り、さらにキャッシュレス化に向かうというように銀行や証券という形そのものが変わった。インターネットやスマホによって、この10年間で、人々の生活、人と人との関係・距離感、仕事の進め方、店頭、教育現場などを劇的に変えつづけている。そのなか日本は働き方改革だとか生産性向上だとか、そんなことをいっている場合ではない。世界から大きく取り残されている。


先日の松山の塀がない刑務所での脱走事件が起こるまでは先進的な開放施設だと高く評価されていたが、脱走事件がおこると、“なぜ刑務所に塀がないのだ?”とたたかれる。サファリパークで虎が事故をおこすまでは虎を近くに見えて迫力を感じていたが、いったん事故がおこると、“こんな杜撰な方法でいいのか?”といわれ、大きな問題となる。「IT」の世界はこれとよく似ている。日本で使われている「IT」という言葉はテクノロジーのみを意味するのではなく、どちらかというと「ノウハウ」に近い。たとえば「技術」とは、刑務所の「塀」であり虎を閉じこめる「檻」のこと、「IT」とは、刑務所での業務運営方法、サファリパークのなかで虎の扱い方、飼育する「ノウハウ」のことである。にもかかわらず、IT=テクノロジー・技術ととらえるから、判らなくなる。日本で使われる「IT」を「ノウハウ」ととらえると、世の中のことが理解しやすい。


インターネット、スマホというハードウェア、ソフトウェアを開発する技術と、それをツールにして、なにをするのか、なにができるのかということを「IT」という言葉ひとつに括ろうとするので混同してしまう。「プログラミング」など昔からある言葉で言語が変わっただけであり、「メルカリ」もそう。メルカリとは相対取引の中継の場。相対取引という商いは昔からある。それをネット、スマホをツールに不特定多数の人がつながりやすいようにした「ノウハウ」「方法」がメルカリの人気であるが、これは「情報技術」ではない。ITとは、このときどうするのかという「アルゴリズム」(問題解決するための計算・処理手順)である。


しかしながら日本はモノづくりの「技術」の延長線上で情報技術としてとらえ、「IT」という言葉に日本的な翻訳ができずに使っているのが失敗の本質である。ITは「ノウハウ」である。しかし、そのIT・スマホを自由自在に駆使する世代があらわれた。スマホを購入して操作するために存在しない紙の取扱説明書を探す年輩者と、購入したスマホを楽々とすぐに操作する若者。いわゆる「デジタル・ネイティブ世代」は「IT」を武器に、「IT」が理解できず使えない年輩者たちを「排除」して、自分たちの都合の良いように仕事やものごとを進めようとする。排除されたくない年輩者は「ここで若い彼らを否定したら自分の立場が危うくなる」と考え、若者たちに「迎合」する。しかしながら「迎合」していることは、若者たちに丸分かりだから、「迎合」する年輩者は赤子のように扱われる。


日本社会、企業、組織の現場に「カッコー」が繁殖しつつある。カッコーには不思議な習性があり、他の鳥の巣に飛んでいって、その鳥の卵を巣から落としてカッコーの卵を産みつけ、それに気づかない鳥にカッコーの卵を温めさせ、カッコーの雛を育てさせる。


今の日本社会・組織に、この「カッコー」文化が広がる。ITカッコー族と、カッコー族にはじかれる人と、カッコー族に迎合する人。先人たちがつくった巣(組織)に「IT」を使いこなす若いITカッコーが飛んできて、ITをツールとした海外から仕入れたビジネスモデルで、それが理解できない先輩、年輩者、経営者を無能扱いして、弾き飛ばし、追い出し、あっという間に乗っ取る。年輩者たちはツールとしての「IT」を勉強し理解すべきなのにそれをせずに、カッコーに追い出されないよう、「ええんちゃうか、やったらええわ」と「迎合」する。それが目に見えておこっているのが金融機関や教育機関であり、多くの自治体も企業もそうである。最近とみに語られる人工知能で無くなるだろうと心配されている仕事に、すでに「ITカッコー」文化が繁殖しはじめている。たとえば専門分野の特定知識で勝負していた大学の先生は、スマホで次々と検索する学生に、何を教えられるのだろうか?


しかしITカッコーは過去のこと、流れを本質的には理解できていないことが多く、失敗をするケースが多い。それは当たり前である。過去の学び方が弱いし、基盤となる仕事観、ビジネス観が確立できていない。一方、年輩者たちは過去を体験しているが、新たなことを学べていない。日本の問題は、若者と年輩者の実質的な「対話」が不足していること、コミュニケーションして、様々なコンフクリフトをお互いに乗り越えていないからだ。むしろいま何をすべきなのか、何をしなければならないのかをITカッコー族と年配者が話し合って、新たな価値を生み出すべきである。できないのではなく、やらないだけである。対話をしてお互いを学びあい両者の断層を埋めないと、日本はますます弱くなる。「IT」は技術ではない、ノウハウであり、ツールである。「IT」の本質は、勉強したら理解できる。


(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)


日経新聞社COMEMO  67日掲載分

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