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2017年11月22日 by 池永 寛明

【耕育篇】 そこに、それがある「必然性」

   

  

清里は圧倒的に眩い輝きのある地名であった。1980年代、山梨県の「清里」は高原の原宿と呼ばれ、牧場、美術館、ペンション、ショップが続々と建てられ、メルヘンチックなまちがつくられ、全国から観光客がおしよせた。30年後、その清里の多くの建物は閉められている。

 

オランダのアムステルダム。200300年前の建物がそのまま残っている。オランダ人に、この町を変えようという意識はない。建物はそのままで、建物内を働きやすく、暮らしやすくしようとする。日本のように古くなったから建物を取り壊して、まちを変えようという「必要性」を感じていない。伝統的な建物を意図的に残そうという運動ではなく、それがあたり前で結果として残る。そういう文化である。

 

ある製薬会社の社長に、「なぜ道修町に本社を置きつづけられているのですか?」とお訊きした。社長は「神農さんがあるからです」と答えられた。道修町にある神農さん(少彦名神社)のお祭り「神農祭」が本日と明日、大阪の船場の道修町で開かれている。道修町は豊臣秀吉が薬種商を集めたまちで、現在も製薬会社が並んでいる。オフィスビル街が神農さん一色となり、道修町通りが祭りの参道のようになり、全国中から薬関係者が集まる。

 

神農さんのシンボルは「張子の虎」。では、なぜ虎か ? 1822年に大坂でコレラ(虎狼痢(コロリ)と呼ばれた)が流行した。道修町の薬種商が疫病除薬として虎の頭骨などの和漢薬を配合した「虎頭殺鬼雄黄圓(ことうさっきうおうえん)」をつくった。それにちなんで、「張子の虎」をお守りにして、現代につなげられている。

 

各地で「秋祭」がひらかれている。しかし神輿の担ぎ手が少なくて大変だという地域も多い。そもそも秋祭は、農作物の収穫を地域の人たちが神へのお礼という目的でおこなわれることが多いが、田畑がなくなった地域での祭りの意味あいは変わっている。もともと地域にとっての「必然」があって、そこに神社がつくられ、地域の人たちは祭りをおこなってきた。地域で助け助けあいながら米や野菜をつくってきた。祭りはその「収穫祭」であったが、「祭り」のかたちのみが繰り返されている。

 

文化(カルチャー)の語源は「カルチベイト」、「耕し、栽培し、繰り返す」こと。各ステップごとにベストの方法を考えて実行し、ステップを確実につなぎ、毎年毎年繰り返していくことである。農業しかり、植林しかり、教育しかり、事業しかり、企業、都市・地域しかり。この「文化」の方法論そのものである。しかし、そこにあったものを無くしたら、文化は育たない。

 

冒頭の清里の話に戻る。それがつくりあげられた瞬間はうまくいっても、そこにそれがある、そこでそれがおこなわれるという「必然性」がなくなると、持続しない。文化とは、必然性のあるものを繰り返すことである。

 

エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)

 

日経新聞社COMEMO 1122掲載分