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2017年10月18日 by 池永 寛明

【耕育篇】 なんでもヤバイ、なんでもすごい、なんでも青色

  

 

いろいろなものがどんどん短くなっていく。パッセージが短くなっていく。ボキャブラリー、語彙が乏しくなっていく。なんでもかんでも「ヤバイ」、なんでもかんでも「すごい」。ツイッター、フェイスブック、LINEと、長文が短文に、文章が単語に、インスタグラムになって、文字が消え、写真と映像だけとなる。さらに絵文字。感嘆符扱いから、文字が消え絵文字単独になり、「意味」が人によって様々に受けとめられることになる。

 

色も同じ。たとえば青色。伝統色の「群青色、空色、瑠璃色、浅縹、千草色、藍色、浅葱色、舛花色、縹色、深縹、天色、紺青色」など、古代から様々な色を時間をかけて日本人はつくってきた。その色がつくられた行事、仕事、祭りなどの背景、文脈がなくなるなか、なんでもかんでもが「青色」という言葉にくくられていく。それぞれの色がもっていた「意味」が変わってしまう、無くなってしまう。それぞれがもっていた微妙な「違い」がどんどんそぎおとされ、バリエーションがいっしょくたになっていく

 

言語論でいうと、シンフィエ(言葉が指す対象・意味するもの=たとえば「りんご」という果物)を、シンフィアン(言語として表現されるもの=日本語「りんご」、英語「アップル」)の概念で説明される。

 

そしてラング(文字)をパロール(実際に話される言葉・お喋り)することとなる。その文字(ラング)にこめた意味が、別の人に言葉で伝えられていく(パロール)うちに、別の意味に受けとめられてしまう。こうしてコミュニケーションがうまくいかなくなる。

 

このように言葉は一人歩きする。熱いものは時間を経ると低くなるという熱力学の第2法則「エントロピーの法則」と同じように、「言葉」も高いレベルから低いレベルへ、濃いものから薄いものへと移行していきがちである。もともと「その言葉」に込められていた意味が変容していく。

 

 自然、銀行、物理、化学、電気、哲学、文明これらの漢字はすべて日本人が西洋の言葉から翻訳したものである。江戸時代から明治・大正時代に、日本人は西洋学問を精力的に日本語へと翻訳した。

 

たとえば西洋の「エコノミー」。西洋の文献を読み、その言葉の意味、本質を読み解き、中国の古典から「経世済民」という言葉を探り出し堀りおこし、日本人が「経済」と翻訳した。とてつもない血のにじむような日本的翻訳作業がおこなわれた。素晴らしい「知的財産」がうみだされた。明治時代以降、中国はその日本人が翻訳した漢字の多くを逆輸入した。それだけ苦労して翻訳した、それらの漢字がどんどん使われなくなっていこうとしている

 

なぜそうなるのだろう? たとえば「おもてなし」という言葉。話している人のいっている「おもてなし」という言葉と、それを聴いている人が受けとめる「おもてなし」の言葉の意味とがちがっていることがある。それは、Aさんが経験し感じた「おもてなし」と、Bさんが経験のなかから感じた「おもてなし」とがちがっているからである。そもそも、現在、おもてなしを提供する人がその「意味」を理解できなくなっていくため、言葉の一人歩きは加速していく。

 

このような言葉の変化の原因として、読書量の減少につきあたる。その短くなった読書も自らに役立つ実務書が多く、さらにその本も圧倒的に漢字量が減り、平仮名、片仮名が増えていく。漢字のもっていた意味が変わっていく。さらに、海外からの言葉が適切な「日本的翻訳」がなされず、横文字のままカタカナとして日本に入ってきているからと考えられる

 

そしてスマホが登場した。分らないことがあったら、スマホで手軽に検索する。スマホで情報が手に入ると、分かったような気が、できるような気がしてしまう。さらにその情報を盲目的に受け入れ、それが正しいのか正しくないのかすら関心がなくなってしまい、もともとその言葉に込められた意味が変わっていく。

 

スマホ以前は、時間をかけて原書を読み、百科事典を読み、現地に行き、そこにいる人に聴くなどといった「経験」を読んで、私たちは「成熟」していった。なんどもなんども「トライ&エラー」し、試行錯誤を繰り返して失敗から学び、物事を身についた。

 

そのような成熟期間があったからこそ、臨機応変に危機が乗り越えられた。スマホ前に帰ろうというのではない。スマホのプラス・マイナスの意味を理解し、スマホの使い方を考えないといけないが、それが社会的に十分できているとはいえない。

 

いちばん気になるのは、言葉という表現の貧困が思考、発想の貧困につながり、社会を変えてしまうということ。言葉は大切である。

 

(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)

 

日経新聞社COMEMO  1018日掲載分