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2017年04月27日 by 池永 寛明

【能源篇】 (エネルギー文化史3)日本の高度な文化経済力

     

 

日本を訪れる外国人は日本の何をみているのだろうか?

100年前に建てられた大阪豊崎にある日本住宅に近づくと、「スマート!」と感嘆し、彼らは眼を見開いた日本がどう見えたのか?と訊くと、日本の生活文化の“スマートさ”に驚いたと答えた方が多かった

外国人は江戸時代や明治、大正、昭和初期の“日本の生活文化のなにがスマートなのか?スマートとなる方法論はなにか?”を探されている。

 

火の発見から、日本は世界と同じエネルギー時代を歩む。世界と同じように自然からエネルギーをつくってきた。しかし日本は生活文化と同じように独自の方法を考え、日本的なエネルギーの使い方をうみ出してきた。

 

高度な生活文化をささえた燃料にも日本的な創意工夫が施されている。ろうそくに使われる「蝋」はハゼ、ウルシなどの実の脂肪分からつくられ、灯明・行燈に用いられる「灯油」は植物や動物からつくられ、調理・風呂には「薪・木炭」などが使われた。

 

かつて京都大山崎に「油座」があった。ゴマ、エゴマ、木の実からとりだした灯油用の油を製造・販売していた。山崎は独占的市場シェアをもち、灯油といえば山崎だった。この離宮八幡宮の油座は、信長、秀吉の「楽市楽座」政策まで独占状態がつづく

 

エネルギーの世界でも現代的視点で捉えると、驚くことがある。実は奈良時代から石油やガスや石炭を使っていた。

 

6687月、越国から燃える土燃える水が天智天皇の都近江宮へ献上された」との記録が「日本書紀」に書かれている。燃える水とは「石油」のこと。秋田・新潟・富山・宮崎・千葉・北海道などで、海から田畑から山から燃える空気を「火」として利用していた。これこそ、「天然ガス」のこと。現在も日本には石油ガスが賦存する場があり、採掘され利用されている。

 

燃える石もあった。これは「石炭」のことで煮炊きや暖房、風呂向けの家庭用燃料として九州で利用されていたとの記録があるが、さらに九州内にとどまらず船運ばれ瀬戸内海の塩田での製造用の産業用燃料として使われていた

 

私たちはつい「過去は古い」「現代のようなことはありえない」と上から目線で捉えがちである。当時に立ち戻り、当時目線でその時代を捉え、現代目線を重ねあわせ、当時の事実を見つめることで、真実を読み解くことができる。

 

ともあれ江戸時代の燃料は薪と炭が中心だった。江戸時代は燃料費用が高く、家計に占める光熱費が高かった。

 

「菜の花や月は東に日は西に」という与謝蕪村の歌がある。今、私たちが江戸・明治に戻ったとしたら、日本の都市郊外・農村は、菜の花の黄色一面に広がっている風景に出くわしただろう。

 

燃料は江戸時代の戦略商品だった。菜の花から安価かつ良質に油が製造できる技術が江戸のエネルギー戦略を変えた。大坂商人が中心になって投資を行い、菜の花を日本各地で戦略的に栽培し国内流通させた。江戸時代に広がった菜の花にはそういう背景があった。

 

そして菜種は米などとともに大坂に運ばれ、大坂近郊で油に加工され菜種油となり、江戸をはじめ全国に運ばれて、町の明かりとして使われた

 

江戸時代に飛躍的に発達した日本の海路・水路は日本各都市を緊密につなげ、各地の特産品と工業システムと連結し、国内外の交易が加速し、日本流の高度な文化経済を生み出していった

 

(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)

 

〔CELフェイスブック 422日掲載分改

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