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2017年03月24日 by 池永 寛明

【時間篇】 古地図をもとにイケフェスを。

     

 

地図は居場所を教えてくれるが、二枚の地図は歴史と時間幅を教えてくれる。毎日通い働く場所が違って見える。イケフェスガイドブックを持った人たちがまるでオリエンテーリングのように船場中之島のビルとビルの間を縫って歩いている。

 

近代建築の凄さを学ぶのもいいが、これらのビルや住宅がなぜそこに建っているの?そのビルと道路・水路との関係、同業者との関係、町、地域との関係を学びながら歩くと、大阪をより知ることとなる。大阪は、どのような歴史的コンテキストがあるのだろうか?

 

 この大阪という場所の歴史を簡単に書く。知っているようで知らない。そもそも大阪とはどんなところ?

 

物語を600年頃から始める。この地は瀬戸内海から水路ネットワークの要衝で奈良・京都を核とした畿内への玄関口。四天王寺は海外からの迎賓館。応神天皇の大隅宮、仁徳天皇の高津宮をはじめ長柄豊崎宮、奈良時代に聖武天皇の難波宮と、都が次々とこの地におかれた

 

その後難波は四天王寺を中心とする町と歴史的には存在感を失う。小坂、転じて大坂という地名が歴史に登場するのは室町時代に石山本願寺が開かれてから。大坂が日本の軸となるのは、1583年に豊臣秀吉が本願寺跡に大坂城を建てたことから。今の大阪にも残る大坂の町割りを行い、地政学的強みである水路ネットワークに着目した交易都市大坂が計画的に生み出された。

 

その後徳川の直轄領となり船場などの開発とともに堀川を開堀したことと、両側町という仕組みと株仲間制度という特権が大坂を空前の商業都市として成長させることとなる。その名残が大阪の地名に残されている。幕末の大塩平八郎の乱で、大坂の町の多くが焼けた。

 

明治維新後に大久保利通が大阪に遷都しようと動くも果たせず、さらに明治政権の産業政策の転換に家内事業だった船場の商人は苦慮するものの、五代友厚の指導のもと近代化をはかれ、大阪湾の整備と紡績工業などの事業が立ちあがり、東洋のマンチェスターと呼ばれる産業都市となる。

 

時代は、それまでの職住一体の都市構造から住まいの郊外への移転を促す。しかし明治後期・大正に大大阪時代と言われる産業と商業経済と急増する人口そして独特な、しかし江戸時代の大坂につながる文化を持つ日本最大の都市となる。

 

イケフェスの公開建物の多くは、まさにこの大大阪時代のものが多い17日から船場博覧会が始まり、22〜23日の神農祭まで船場ははねる。

 

(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)

 

〔CELフェイスブック 115掲載分

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