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2017年03月23日 by 池永 寛明

【耕育篇】 江戸から昭和のある文化史

   

 

幼い時、家の近所に映画館が3つあったことを覚えている。その映画館の多くが大阪万博のあとに無くなった。その跡地にマンションや商店が建ち、かつてそこに映画館があったことを覚えている人は減ってきている。

 

江戸から明治の大坂・大阪は浄瑠璃、歌舞伎を中心とした演劇文化が主流のなか、映画文化が海外からやってきた。明治29年に海外から映画が輸入され、難波の「南地演舞場」で日本ではじめて映画の興業がおこなわれた。ニューヨークの電車の映像を数分間流し、弁士が内容を説明するという形態だった。よって映画館なのに舞台がある、花道がある。出語りの場所があり、座敷席がある。演劇と映画をミックスした「連鎖劇」という演劇の形態が生み出され、千日前の「楽天地」がメッカだった。

 

日露戦争を契機に初期の映画ブームが起こり、千日前に次々と映画専門の劇場が生まれていく。そして第一次世界大戦と関東大震災を契機に、大阪は「東洋のマンチェスター」と呼ばれる産業立地が進み、大大阪時代を迎え、経済の進展とともに大阪の映画産業が大きく成長していく。

 

そういう時代空気のなか生活者における映画の位置づけが大きく変わる。それまで繁華街や神社周辺にあった映画館は、しだいに生活者の住む空間につくられていく。都市部と周辺部の映画館はターゲット層のニーズにあった機能・形態にて差別化して、地域ごとの多彩多様な映画文化を形成していった。

 

昭和8年、御堂筋が開通したことで、ミナミ中心の映画館からミナミとキタの二極に映画館が増え、とりわけ阪急電鉄が作られた梅田の北野劇場は映画ファンの流れを大阪の文化地理構造を大きく変えることになる。

 

戦時中にニュース専門館が登場したことに伴い映画館は増え続けたが、その多くが空襲で焼失した。戦後映画館は復興し、戦後20年、娯楽をもとめるニーズを捉え、映画の全盛期を迎える。しかしテレビが普及する昭和45年前後以降にまちから映画館が消えていった

 

 関西大学の笹川慶子文学部教授より「大阪のまちの変容と映画館の関係を紐解く」と題してレクチャーいただいたあと、戦災等を乗り越えて暮らしの傍らで保存されてきた貴重な資料の数々をスライドショーで公開。続いて往時の映画文化の実体験談と、映画史・大衆文化史・建築史等の専門家の知見を交え、映画を軸に明治から大正・昭和のまちの記憶をよみがえらせていった。このように専門家と市民がまちや家に残る資料・写真を掘りおこし、読み解いていく活動が、そのまちに住む人の愛着心を高め、地域の未来につながっていくことではないだろうか?

 

NEXT21・2階ホールで2月28日(日)に開催された「第5回上町台地 今昔フォーラム」をまとめた「上町台地 今昔タイムズ(2016号外)」が発行された。

 

(エネルギー・文化研究所 所長 池永寛明)

 

〔CELフェイスブック 531日掲載分

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